藤平酒造はまだまだ進化する蔵だと思います
東灘酒造を訪問した翌日千葉県の久留里町にある藤平酒造(福祝)を訪問しました。久留里町は君津市にあるのですが、実際の場所は房総半島のほぼ中央にあります。僕は勝浦から行ったので、安房鴨川までJRでいき、その後は鴨川発東京行きの高速バスで久留里に向かいました。
久留里町は久留里城のある城下町ですが、どうしてこんな山奥に城が立ったのか興味がありましたので、調べてみました。最初は1456年に武田信長が上総国の守護代に任じられて、その翌年この地に久留里城を築城したようです。僕の勝手な考えでは久留里は房総半島の重心にあたる所で、且つ水が豊富でお米がとれたから選らんだのではないかと思います。
その後は戦国時代に武田に代わって里見氏がここを抑えて、改めで現在の地に久留里城を築城したと言われています。江戸時代になると久留里藩の藩庁として色々な大名がここを治めますが、最後は黒田氏が明治維新まで居城したそうです。ただ、現在の城は昭和54年に浜松城をモデルとした模擬天守閣で、実際のものとはだいぶ違うようです。いずれにしても大きな城ではなかったようです。
インたーネットから拾った写真を載せておきますが、可愛いお城といった感じです。
江戸時代までは城下町として栄えたことは事実で、この地には酒蔵が多くあり、現在でも下記の5つの蔵が現存します。
1.吉崎酒造 吉寿 2.藤平酒造 福祝 3.須藤本家 天の原
4.森酒造店 飛鶴 5.宮崎酒造店 峯の精
この地は平成の名水100選に選ばれるほど名水の地と言われ、奇麗な湧水が豊富に出る地だったことから酒造りが盛んだったのでしょうね。その証拠に久留里線の久留里駅の前には誰でも飲めたり汲んだりできる湧水が出ていました。
<藤平酒造の歴史>
創業は1716年ですから江戸時代中期ということになります。蔵はJR久留里駅から少し南に下ったところにありますが、もともとの蔵はこの場所からもっと下がった小櫃川の川沿いにあったようで、藤平本家が酒や醤油の製造販売をしていました。でも江戸時代の半ばに川が氾濫し蔵がつぶれてしまい、山林業の商いに徹することにしたようです。
藤平分家はもう少し高台にあったので、氾濫の影響がなかったことから分家が酒業を注ぐことになったのが1716年ということのようです。ですから創業者の名前は藤平久左衛門になるようです。
その後この蔵がどのように発展したかは、良くわかりませんが、かっての屋号が藤崎屋ということから藤久盛(とうきゅうさかり)という酒を造っていましたが、先代の社長が昭和55年に現在の「福祝」というお酒を出すことにしたようです。蔵しいことはわかりませんが、先代の社長はその後すぐに亡くなられて、奥様の藤平恵子さんが社長となり現在に至っています。
先代が若くして亡くなられたので、藤平家には3兄弟がいましたがまだ小さいので、外部から来た杜氏に造りを任せていたようです。最初は越後杜氏が来ていましたが、後半は南部杜氏が来ていました。その南部杜氏に次男と3男の2人が酒造りを学び、2000年(昭和12年)より二人の酒造りが始まります。最初の造り(12BY)から全国新酒鑑評会の金賞を取っただけでなくその後3年連奥で金賞を取り、一躍有名になります。2003年に南部杜氏が無くなったらしいので、その当時のお酒は南部杜氏の指導があった酒と思われます。
現在は母親の藤平恵子さんが社長で、長男の藤平和也さんが経営、次男の藤平典久さんが製造全体、3男の藤平淳三さんが営業と製造を担当しているようです。僕が福祝を始めて認識したのは、ちょうど10年前に全国新酒鑑評会で金賞を2年連続取った時からです。僕もお酒を勉強した間もない頃でしたので、千葉県の片田舎でこんなに奇麗で華やかな酒を造っているのに感心した覚えがあります。たぶん南部杜氏の方が無くなって本格的に二人が造った酒として世に認められた時のことだと思います。
でも2年連続で金賞を取った後は今年まで1回も金賞を取っていませんので、そのあたりのこともお聞きしながら蔵見学をさせていただくことにいたしました。
<藤平酒造の蔵見学>
ここが蔵の入り口です。昔ながらの古い造りの蔵です。
門から中に入ると大きな煙突が見えますが、その左の奥が蔵になっています。
これから造りの順に紹介していきますが、まずは仕込み水です。この地区は水が豊富で自噴しているところが多いのですが。よりきれいな水を求めてこの蔵ではやく600mの井戸から水を取っているそうです。この水を2段のフィルターをかけて、さらに最後に中空糸フィルターでろ過してから仕込み水として使っているそうで、中硬水なので発酵力が強いそうです。
ここが水場です。奥に和釜と放冷機が見えますね。
洗米はウイルソンの洗米機を使っていて、本醸造と普通酒は連続式のものを使っているそうです。
純米酒以上の特定名称酒は単式のウイルソン洗米機を使っているそうですが、以前使っていた青島式よりずっと洗浄時間が短くなったそうです。
蒸し器は和釜を使っていました。和釜を使っているとっころは結構多いですね。
次は麹室ですが、ここは淳三さんの担当だそうです。丁度消毒前の拭き掃除をしているところでした。それなりの広さの麹室ですが、1室しかないので、2室にしたいとのことでした。麹室は杉の木を使っているところが多いけど、ここは合板造りで加熱も温調線でした。床は3年前に張替えたばかりだそうです。今度改造したら温調線をやめてパネルヒーターにするつもりだそうです。生産量を増やすにはぜひとも2室欲しいでしょうね。
床やはこのほかに仕舞仕事の後の麹の温度管理は自動で温度調整ができる移動式の製麹装置の「吟の箱」を使っているそうです。下の写真のような発泡ポリエチレン製の装置で、温度も下げることもできるので、出麹の後の出麹乾燥にも使える便利なものだそうです。
次は酒母室ですが、現在は物置として使われていました。部屋の降り口には酛室と書かれています。
この蔵の特徴は仕込み蔵にあるのですが、まず、本醸造、普通酒の仕込み蔵を見てください。ごく普通に4000ヵら5000Ⅼの仕込みタンクが並んでいました。
出品用の大吟醸は専用の仕込み室が用意されていました。仕込み量は600~700㎏仕込みだそうです。純米大吟醸は通常の仕込みでやっているそうです。
驚いたのは純米・吟醸の仕込みは出荷用の瓶を約300石分保管できる冷蔵庫の内部で行っていることです。確かに冬場は瓶貯蔵の量も少ないので、冷蔵庫内があいてるとの思われますので、その部分で仕込みをすることは出来そうですね。ですから仕込み用のタンクは別の部屋の置いてあって、それをフォークリフトで冷蔵庫内に運び入れて、仕込みをするそうです。低温で仕込みができるので、安定した造りができるとは思いますが、タンクを移動したり、保管量など色々なやりくりをするのが大変だと思います。あまり聞いたことがないやり方ですね。
ここが仕込みのための異動タンク(600~900kg仕込み)や仕込み用のはしごなど色々なものを置く部屋として使っているそうです。
これがその冷蔵庫です。この時は出荷用の生酒以外のすべてのお酒が保管されていたので、満杯状態でした。現在の仕込み量は2本弱/1週間だそうで、生産高は320石位だそうです。
搾りは昔は槽も使っていましたが、今ではほとんど薮田で搾っているそうです。
昔は蛇管で加温したいたそうですが、現在はすべて火入れは瓶燗火入れで開いたら位の中に瓶を並べて加温した後冷水で急冷してるようです。この蔵は生酒より火入れの方が多いのですが、生酒は瓶に詰めた後氷温冷蔵庫で保管するそうです。その冷蔵庫がありました。
最後に面白いものを見つけました。この古ぼけた装置は何だと思いますか。こんな形をしていますが現役で動いているそうです。
瓶の洗浄機だそうです。なにーこれ!といった感じですね。以上で蔵の中の紹介は終わります。
<現状の酒造りについて>
この後淳三さんとおしゃべりをしたことから造りについて感じたことを纏めてみたいと思います。淳三さんの写真をtp里忘れましたので、彼のFACEBOOKからお借りします。
現在造りはご兄弟二人と2人の従業員の4人で造っているとのことでした。
この蔵の原料米は山田錦、雄町でしたが、最近は栃木の飯沼銘醸さんの紹介で、北海道産のきたしずく、彗星を使っています。この2つにお米は固めで溶けにくいけど、仕込み水が中硬水なので相性が良く、奇麗な味わいのあるお酒になるそうです。だとすると雄町は難しいと思うけど、チェレンジなのでしょうね。
酵母はむかしは9号酵母をメインにしていましたが、佐賀の小松酒造の紹介で、熊本酵母に切り替えたそうです。熊本酵母の方が香りが出るうえに味わい深いそうです。 最近は1501酵母も使っていて、大吟醸は1801酵母をやめてM310を使っているそうです。
最近全国新酒鑑評会で金賞を取っていないのはどうしてですかとお聞きしたら、昔は何としても金賞を取りたいと気合をいれてきましたが、金賞を取っても売り上げが伸びないので、金賞を取るよりは市販酒の質を上げて、よりよいお酒を造ることに力を入れるようにしたので、金賞は取れれば儲けものという感じだそうです。でも決して手を抜いているわけではないそうです。ですから市販酒の火入れの酒は全量瓶燗火入れにしたし、冷蔵庫の拡大を図って酒質を上げてきたそうです。
今後どんなことをしていきたいかをお聞きしたら、麹室の増設と改築、冷蔵庫の増設をしたいそうです。確かにそれをしないと、生産量の増加は難しいでしょうね。この日は水曜日お店がお休みでしたので、死因はできませんでしたが、大吟醸山田錦40をお土産にもらいました。
この写真のお酒は山田錦40%精米の大吟醸でしたが、インターネットでいろいろ探しても見つからなかったので僕の勝手な予測ですが、出品酒とは書いていないので出品酒の責めの部分のお酒ではないかと思います。飲んでみると結構辛口に仕上がっていて、後味は奇麗に消える福祝らしいお酒でしたが、ちょっとふくらみが足りないようにおもえました。
これからも飲む人を驚かすようなお酒を造っていただきたいと思います。淳三さんお忙しいところ、ご案内いただきましてありがとうございました。
←ご覧になったら、この日本酒マークをクリックしていただくとブログ村のページに戻ります。これでポイントが増えます。携帯やスマートフォーンでご覧の方はMobileModeではクリックしてもポイントは増えませんので、PC-Modeにしてからクリックしてください。よろしくお願いします。