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蔵訪問

2018年7月29日 (日)

藤平酒造はまだまだ進化する蔵だと思います

東灘酒造を訪問した翌日千葉県の久留里町にある藤平酒造(福祝)を訪問しました。久留里町は君津市にあるのですが、実際の場所は房総半島のほぼ中央にあります。僕は勝浦から行ったので、安房鴨川までJRでいき、その後は鴨川発東京行きの高速バスで久留里に向かいました。 

久留里町は久留里城のある城下町ですが、どうしてこんな山奥に城が立ったのか興味がありましたので、調べてみました。最初は1456年に武田信長が上総国の守護代に任じられて、その翌年この地に久留里城を築城したようです。僕の勝手な考えでは久留里は房総半島の重心にあたる所で、且つ水が豊富でお米がとれたから選らんだのではないかと思います。 

その後は戦国時代に武田に代わって里見氏がここを抑えて、改めで現在の地に久留里城を築城したと言われています。江戸時代になると久留里藩の藩庁として色々な大名がここを治めますが、最後は黒田氏が明治維新まで居城したそうです。ただ、現在の城は昭和54年に浜松城をモデルとした模擬天守閣で、実際のものとはだいぶ違うようです。いずれにしても大きな城ではなかったようです。 

インたーネットから拾った写真を載せておきますが、可愛いお城といった感じです 

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江戸時代までは城下町として栄えたことは事実で、この地には酒蔵が多くあり、現在でも下記の5つの蔵が現存します。 

1.吉崎酒造 吉寿 2.藤平酒造 福祝 3.須藤本家 天の原  

4.森酒造店 飛鶴 5.宮崎酒造店 峯の精 

この地は平成の名水100選に選ばれるほど名水の地と言われ、奇麗な湧水が豊富に出る地だったことから酒造りが盛んだったのでしょうね。その証拠に久留里線の久留里駅の前には誰でも飲めたり汲んだりできる湧水が出ていました。

<藤平酒造の歴史> 

創業は1716年ですから江戸時代中期ということになります。蔵はJR久留里駅から少し南に下ったところにありますが、もともとの蔵はこの場所からもっと下がった小櫃川の川沿いにあったようで、藤平本家が酒や醤油の製造販売をしていました。でも江戸時代の半ばに川が氾濫し蔵がつぶれてしまい、山林業の商いに徹することにしたようです。 

藤平分家はもう少し高台にあったので、氾濫の影響がなかったことから分家が酒業を注ぐことになったのが1716年ということのようです。ですから創業者の名前は藤平久左衛門になるようです。 

その後この蔵がどのように発展したかは、良くわかりませんが、かっての屋号が藤崎屋ということから藤久盛(とうきゅうさかり)という酒を造っていましたが、先代の社長が昭和55年に現在の「福祝」というお酒を出すことにしたようです。蔵しいことはわかりませんが、先代の社長はその後すぐに亡くなられて、奥様の藤平恵子さんが社となり現在に至っています。 

先代が若くして亡くなられたので、藤平家には3兄弟がいましたがまだ小さいので、外部から来た杜氏に造りを任せていたようです。最初は越後杜氏が来ていましたが、後半は南部杜氏が来ていました。その南部杜氏に次男と3男の2人が酒造りを学び、2000年(昭和12年)より二人の酒造りが始まります。最初の造り(12BY)から全国新酒鑑評会の金賞を取っただけでなくその後3年連奥で金賞を取り、一躍有名になります。2003年に南部杜氏が無くなったらしいので、その当時のお酒は南部杜氏の指導があった酒と思われます。 

現在は母親の藤平恵子さんが社長で、長男の藤平和也さんが経営、次男の藤平典久さんが製造全体、3男の藤平淳三さんが営業と製造を担当しているようです。僕が福祝を始めて認識したのは、ちょうど10年前に全国新酒鑑評会で金賞を2年連続取った時からです。僕もお酒を勉強した間もない頃でしたので、千葉県の片田舎でこんなに奇麗で華やかな酒を造っているのに感心した覚えがあります。たぶん南部杜氏の方が無くなって本格的に二人が造った酒として世に認められた時のことだと思います。 

でも2年連続で金賞を取った後は今年まで1回も金賞を取っていませんので、そのあたりのこともお聞きしながら蔵見学をさせていただくことにいたしました。 

<藤平酒造の蔵見学> 

ここが蔵の入り口です。昔ながらの古い造りの蔵です。

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門から中に入ると大きな煙突が見えますが、その左の奥が蔵になっています。


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これから造りの順に紹介していきますが、まずは仕込み水です。この地区は水が豊富で自噴しているところが多いのですが。よりきれいな水を求めてこの蔵ではやく600mの井戸から水を取っているそうです。この水を2段のフィルターをかけて、さらに最後に中空糸フィルターでろ過してから仕込み水として使っているそうで、中硬水なので発酵力が強いそうです。 

ここが水場です。奥に和釜と放冷機が見えますね。 

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洗米はウイルソンの洗米機を使っていて、本醸造と普通酒は連続式のものを使っているそうです。 

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純米酒以上の特定名称酒は単式のウイルソン洗米機を使っているそうですが、以前使っていた青島式よりずっと洗浄時間が短くなったそうです。 

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蒸し器は和釜を使っていました。和釜を使っているとっころは結構多いですね。 

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次は麹室ですが、ここは淳三さんの担当だそうです。丁度消毒前の拭き掃除をしているところでした。それなりの広さの麹室ですが、1室しかないので、2室にしたいとのことでした。麹室は杉の木を使っているところが多いけど、ここは合板造りで加熱も温調線でした。床は3年前に張替えたばかりだそうです。今度改造したら温調線をやめてパネルヒーターにするつもりだそうです。生産量を増やすにはぜひとも2室欲しいでしょうね。 

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床やはこのほかに仕舞仕事の後の麹の温度管理は自動で温度調整ができる移動式の製麹装置の「吟の箱」を使っているそうです。下の写真のような発泡ポリエチレン製の装置で、温度も下げることもできるので、出麹の後の出麹乾燥にも使える便利なものだそうです。 

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次は酒母室ですが、現在は物置として使われていました。部屋の降り口には酛室と書かれています。 

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の蔵の特徴は仕込み蔵にあるのですが、まず、本醸造、普通酒の仕込み蔵を見てください。ごく普通に4000ヵら5000Ⅼの仕込みタンクが並んでいました。 

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出品用の大吟醸は専用の仕込み室が用意されていました。仕込み量は600~700㎏仕込みだそうです。純米大吟醸は通常の仕込みでやっているそうです。 

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驚いたのは純米・吟醸の仕込みは出荷用の瓶を約300石分保管できる冷蔵庫の内部で行っていることです。確かに冬場は瓶貯蔵の量も少ないので、冷蔵庫内があいてるとの思われますので、その部分で仕込みをすることは出来そうですね。ですから仕込み用のタンクは別の部屋の置いてあって、それをフォークリフトで冷蔵庫内に運び入れて、仕込みをするそうです。低温で仕込みができるので、安定した造りができるとは思いますが、タンクを移動したり、保管量など色々なやりくりをするのが大変だと思います。あまり聞いたことがないやり方ですね。 

ここが仕込みのための異動タンク(600~900kg仕込み)や仕込み用のはしごなど色々なものを置く部屋として使っているそうです。 

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これがその冷蔵庫です。この時は出荷用の生酒以外のすべてのお酒が保管されていたので、満杯状態でした。現在の仕込み量は2本弱/1週間だそうで、生産高は320石位だそうです。 

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搾りは昔は槽も使っていましたが、今ではほとんど薮田で搾っているそうです。 

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昔は蛇管で加温したいたそうですが、現在はすべて火入れは瓶燗火入れで開いたら位の中に瓶を並べて加温した後冷水で急冷してるようです。この蔵は生酒より火入れの方が多いのですが、生酒は瓶に詰めた後氷温冷蔵庫で保管するそうです。その冷蔵庫がありました。 

最後に面白いものを見つけました。この古ぼけた装置は何だと思いますか。こんな形をしていますが現役で動いているそうです。 

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瓶の洗浄機だそうです。なにーこれ!といった感じですね。以上で蔵の中の紹介は終わります  

<現状の酒造りについて> 

この後淳三さんとおしゃべりをしたことから造りについて感じたことを纏めてみたいと思います。淳三さんの写真をtp里忘れましたので、彼のFACEBOOKからお借りします。 

現在造りはご兄弟二人と2人の従業員の4人で造っているとのことでした。 

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この蔵の原料米は山田錦、雄町でしたが、最近は栃木の飯沼銘醸さんの紹介で、北海道産のきたしずく、彗星を使っています。この2つにお米は固めで溶けにくいけど、仕込み水が中硬水なので相性が良く、奇麗な味わいのあるお酒になるそうです。だとすると雄町は難しいと思うけど、チェレンジなのでしょうね。  

酵母はむかしは9号酵母をメインにしていましたが、佐賀の小松酒造の紹介で、熊本酵母に切り替えたそうです。熊本酵母の方が香りが出るうえに味わい深いそうです。  最近は1501酵母も使っていて、大吟醸は1801酵母をやめてM310を使っているそうです 

最近全国新酒鑑評会で金賞を取っていないのはどうしてですかとお聞きしたら、昔は何としても金賞を取りたいと気合をいれてきましたが、金賞を取っても売り上げが伸びないので、金賞を取るよりは市販酒の質を上げて、よりよいお酒を造ることに力を入れるようにしたので、金賞は取れれば儲けものという感じだそうです。でも決して手を抜いているわけではないそうです。ですから市販酒の火入れの酒は全量瓶燗火入れにしたし、冷蔵庫の拡大を図って酒質を上げてきたそうです。 

今後どんなことをしていきたいかをお聞きしたら、麹室の増設と改築、冷蔵庫の増設をしたいそうです。確かにそれをしないと、生産量の増加は難しいでしょうね。この日は水曜日お店がお休みでしたので、死因はできませんでしたが、大吟醸山田錦40をお土産にもらいました。  

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この写真のお酒は山田錦40%精米の大吟醸でしたが、インターネットでいろいろ探しても見つからなかったので僕の勝手な予測ですが、出品酒とは書いていないので出品酒の責めの部分のお酒ではないかと思います。飲んでみると結構辛口に仕上がっていて、後味は奇麗に消える福祝らしいお酒でしたが、ちょっとふくらみが足りないようにおもえました。

これからもむ人を驚かすようなお酒を造っていただきたいと思います。淳三さんお忙しいところ、ご案内いただきましてありがとうございました

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2018年7月18日 (水)

東灘醸造の蔵は古いけど新しさが見えます

5月半ばのことですが、千葉県の勝浦にある東灘醸造の蔵見学して来ました。東灘醸造のお酒をはっきり知ったのは2014年の秋に大塚の木の字で行われた東灘のお酒を楽しむ会に参加してからです。その会には社長の君塚敦さんと杜氏の中島行一さんが参加されていて、お酒造りの色々なお話を聞くことが出来ましたので、ブログにまとめてあります。興味のある方は下記のURLをクリックしてください。
http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-d79b.html 

この記事の中で蔵の杜氏のことで、ちょっと間違っているところがありますので、訂正しておきます。それは前々杜氏の辻村勝俊さんを辻村勝利と書いてしまったり、辻村さんが田酒の杜氏だったような書きぶりでしたが、正確には東灘をやめて田酒の杜氏になって、今では千両男山の杜氏をされているようです。東灘醸造が田酒の杜氏を育てたことになりますから、それは凄いことですよね。

今回東灘酒造を訪ねたかというと、たまたま御宿の宿で大学時代の友人がゴルフをするために集まることになったので、僕は勝浦の東灘を訪問してから、その蔵のお酒を買って同期の会に押しかけようと思ったからです。 

東灘醸造は勝浦駅から国道に沿って南で20分ほど歩いたところにありました。その日は天気が良かったので、歩いていきましたがなかなか見つかりません。下の写真のような海辺を歩いていくとこの写真の奥に見える高速道路の奥にあるの丘のふもとにあるようでした。 

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高速度道路の下をくぐり抜けた道に入ると遠くに東灘醸造の看板を見つけました。 

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この看板の所を右に折れるといよいよ入り口ですが、写真に見える線路はJR外房線で、この通路を通らないと蔵には行けません。この通路がこの蔵の改築を色々と邪魔していることを後でお聞きました。 

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いよいよ蔵の入り口です。奥はとても広そうな蔵のようです。 

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下の写真が蔵の全景ですが、醸造している蔵は手前の白い建屋の奥の薄茶色い2階だての建屋の奥にあるので、ここからはよく見えません。薄茶色い建物は前社長が蔵の導線を改善するために作った鉄骨プレハブ造りのようで、奥の蔵は土壁造りの大正時代の建屋で、それが一体化しているのが特徴です。

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蔵の案内は社長の君塚敦さんにしていただきました。君塚さんは明治大学微生物化学卒業ですから、純粋の技術屋さんですか酒造りは蔵に戻ってから学んだそうです。現在の生産量は200石ぐらいで6割が首都圏向けの鳴海(なるか)で、地元向けの東灘は4割だそうです。ですから造りは君塚社長と中島杜氏と若手の臨時蔵人の女性の3人と地元のお年寄りのアルバイトだけだそうです。 石高は少ないけど少しづつ名前は知られるようになってきましたねと笑っていました

水場の説明をしている社長をパチリ。中々素敵な社長でしょう! 

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<蔵の内部の紹介>

蔵の仕込み水は湧水をろ過して使っているそうで、写真のように中硬水が湧き出ています。この地帯は昔は海底だったのが隆起したので、軟水にはならないそうです。 

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この蔵の特徴は洗米、蒸しなどの水回りが2階にあることです。ですから洗米して蒸したお米は乾燥してすぐに麹室や酒母室や仕込み室に持っていくことが出来るので造りのための導線を良く考えて造られていました。これを考えたのは先代の社長だそうで、当時としては画期的な考えではなかったかなと思います。 

この場所か洗米・浸漬をするところです。結構広いです。 

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ここが甑のあるフロアで水場の隣にあります。この装置が甑を載せる蒸気発生器で、周りには作業ための手造りの器具がついていました。 

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蒸し米はすぐの放冷機にかけられ冷却されます。この放冷機にはいろいろな工夫がされていました。後で紹介します。 

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このフロアには3年前にに張り替えた麹室が置かれていました。ちょど室の消毒(ホルマリン蒸気)が終わったところなので中には入れませんでしたが、1室しかないので、隣にもう1室造りたいといわれていました。2室無いと麹造りが難しいのは知っていましたが、1室しかない蔵も多いのは事実です。でも場所的には十分可能なようです。音調は温調線を使っているそうで、張替の時に麹室用の温調線メーカーを探したけどなくて、温室用のメーカーのものを使ったそうですが、全く問題なく動いたそうです。 

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この蔵は大正時代の造りで今では何に使っているのかわからない滑車のようなものが残っていました。屋根には断熱用の土が厚く盛られているので、地震が来たら怖いと心配されていました。

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酒母室も同じフロアにありますが、ここは温度を下げるための冷風機がついていますが、ビニールを壁とした簡単な手作りの部屋になっていました。この時期は物置として使っているようです。 

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酒母室の右上には何か不思議なものが見えますね、。もっと近づいてみましょう。 

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酒母室の前面の上の方に冷風機があるようで、その冷風を放冷機と酒母室の両方で使えるようにするための切り替え装置のようです。普段は酒母室で使っていて、放冷機の冷却が効率が悪くなった時に切り替えて使うようです。 

その下の床はどうなっているのでしょうか。実はこの床の下の1階が仕込み室になっています。よく見てみましょう。床に四角い枠が見えますね。ここの床を開ければ仕込みタンクに原料(酒母や蒸米)を簡単に落とし込むことが出来るそうです。確かにこういう造りをしている蔵はありますが、古い昔ながらの蔵で、水回りも2階に持ってきている蔵を見たのは初めてです。これはいいアイデアです、。 

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では1階の仕込み室に行ってみましょう。手前が仕込みタンクで奥に貯蔵タンクがあり、ここにも冷却FAN が取り付けられていました。 

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反対側から仕込みタンクを見てみましょう 

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6000Lクラスの解放タンクが7基と小ぶりの密閉タンクが2基見えますが、この蔵の生産量から考えると6000Lのタンクは大きすぎるので、最近一番外側の2本を小型タンクに切り替えたそうです。でも、それは大変な作業だったそうです。それは線路の通路が狭すぎて大型タンクは運び出せないので現場で切り刻んで出したからだそうです。そうしてできたタンクが下の写真です。大きさは2000Lで、600㎏仕込みタンクとして使っているそうです。だいぶ大きさが違いますね。 

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隣のタンクも切り刻んで出したらとお聞きしたら、足場の撤去など大工事になるのでなかなか難しいとのことでした。 

貯蔵タンクは現在ほとんど瓶貯蔵なのであまり使っていなくて、醸造用アルコールタンクとか仕込み水のタンクとして使っているようです。作業用の床はなく昔からの足場造りでした。 

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昔からの大型の貯蔵タンクの部屋もありましたが、ほとんど使っておらず、ここを貯蔵用の冷蔵庫にしたいと言われていました。確かにそうですね。でも資金が必要ですね。 

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搾りは槽搾り機もありましたが、ちょっと古いタイプで今は全く使っていないそうです。 

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搾りはこの薮田でおこなっているそうで、鳴海の直汲みもこの薮田に瓶詰め器を直結してやっているそうです。

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鳴海はほとんど生で出しているそうですが、火入れするお酒は中央のレイメイ回転式充填機で瓶に詰めたのちに、奥にある円形の湯煎機で加温した後、一番手前の箱型のシャワー装置を通して冷却するそうです。なかなかコンパクトで良いですね。でもちょっと手がかかりそうですが。 

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以上で蔵の様子の説明は終わりますが、全体を通してみると、新しい設備が導入されているわけではなく、古い蔵をうまく利用しながら少しずつ改善して使っていることがよくわかりました。もうちょっと改善していけば、このままでも500石の生産は十分可能なことが判りました。 

<試飲したお酒の紹介> 

試飲室に入ると過去に表彰された賞状がずらりと縄んでいました。こんなに立派な過去と持った蔵なのだということを初めて知りました。 

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この写真委は写っていませんが、今年全国新酒鑑評会で見事金賞を取っています。最近は大吟醸を造ることは少なく、3年ぶりに作って出したら金賞になったそうです。それだけ、中島杜氏の腕が上がったたということでしょう。中島杜氏は最近結婚されて、近くに住んでいるとのことでした。これも腕を上げた理由なのかもしれません 

この蔵は生産量が200石足らずですが、造っている銘柄は下の写真のようにとても多いのです。写真で見る限り25~26種類ありそうですが、これでも全部ではないそうです。 

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この中の鳴海(なるか)シリーズを試飲させていただきました。 

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左から示しますが、日本酒度の表示は瓶の裏ラベルにはかいてありますが、写真を取っていませんので、少し怪しい数字です。また、この蔵のお酒は同じ銘柄でも年によって酒質は少し変わるようです。 

1.鳴海 特別純米 ふさこがね60%精米
   日本酒度+2.0、、酸度2.0、ALC17%、酵母18号と9号のブレンド 

2.鳴海 特別純米 五百万石60%精米
  日本酒度+2、酸度2.0、ALC17% 

3.鳴海 純米吟醸 雄町55%精米
  日本酒度-4、酸度1.7、ALC15%、酵母M310 

4.鳴海 純米吟醸 雄町薄にごり55%精米
  このお酒は3番のお酒の荒走りと責めをブレンドしたものです。 

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5.鳴海 純米吟醸 山田錦50%精米
  日本酒度+4、酸度1.6、ALC16% 

6.東灘 アクチバ 五百万石60%精米
  日本酒度非公開、酸度非公開、ALC16~17%、酵母9号 

このお酒は東灘と福祝と木戸泉が同じ畑のお米を共同で田植えをして造った五百万石を使って造った特別純米酒で、各蔵の酒の違いを楽しもうという「千葉県日本酒活性化プロジェクト」の一環としてできたお酒です。 

7.鳴海の風 五百万石60%精米 夏酒
  日本酒度+5、酸度1.9、ALC17% 酵母は18号と9号のブレンド 

このお酒は2番のお酒と同じような酒質ですが、夏酒を狙って、日本酒度を+5にしてよりドライにしているようです。しっかりした味わいだけどドライな面白い夏酒でした。 

8.鳴海 VIRGINITY 白麹造り
  日本酒度-8、酸度3.9、ALC15度で、要は甘酸っぱいお酒でした。 

一つ一つのお酒の印象は述べませんが、鳴海の特徴はほとんど生酒の原酒で、日本酒度はややプラスの酒が多いけど、しっかり米の旨みを出しながら、酸で切っていくと同時に炭酸ガスを残していますので、シュワシュワ感を楽しめるお酒でした 

ただ雄町だけは甘めに作っていますが、酸できちっと切ってくれるのであまり甘くは感じません。でも雄町らしい余韻を感じるバランスにしてもらいたかった気がします。 

以上で試飲した結果を終わりますが、最後に面白いお話を聞きました。鳴海の酒は直汲みの生原酒を基本としているとのことですが、アルコール度数の違うお酒がある理由をお聞きすると、直汲みなので搾る段階でアルコール度数を決めておかなくてはいけないので、醪の段階で水を加えるそうですが、それは原酒と言って良いそうです。確かにに醪の発酵を整えるために水を入れることを追水と言いますが、この場合も原酒と言って慰安すね。それと同じですよね。加水という作業は絞ったお酒に水を入れてアルコール濃度を下げる場合にいうようです。絞ったお酒に1%以内の加水の場合は原酒と言えるそうです。日本酒の定義は難しい。

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2018年1月16日 (火)

浪の音を醸している佐々木酒造店は将来が楽しみな蔵です

去年の11月のはじめに第20回みやぎ純米酒倶楽部・穣の宴が開催される日の午後一番に、以前から気になっていた佐々木酒造店を訪問しました。この蔵の存在を初めて知ったのは2016年10月の宮城県酒造組合が主催する試飲会でした。宮城県の蔵と言えば、浦霞と一ノ蔵が有名ですので、僕はもっと小さな蔵として墨廼江、日高見、勝山、伯楽星を取り上げてこのブログで紹介したことがありますが、佐々木酒造店の浪の音は全く知りませんでした。以前に書いた上記4蔵の紹介の記事を下記に載せておきますので、興味のある方はクリックしてご覧ください。 

墨廼江:http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-8dc1.html 

日高見:http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-83e1.html 

勝山:http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-993c.html 

伯楽星:http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-401f.html 

佐々木酒造店については生産量が100石に満たない小さな蔵であること、兄弟二人だけで酒造りをしていること、東日本大震災で蔵が津波に流されて現在仮設蔵で酒造りをしていることは知っていましたが、厳しい環境の中で、とても質の高いお酒を造っているのを知り、どんなところでどんな酒造りをしているのか大変興味を持っていました。ですから、試飲会の席で蔵見学できますかとお聞きしたら、どうぞと言われていたので、1年後の昨年11月に訪問させていただきました。 

蔵は名取市閖上(ゆりあげ)にありましたが、閖上の地は漁港として栄え、そこに流れる名取川はその上流が広瀬川となって仙台市につながっていましたので、昔から伊達藩に非常に大切にされたところだったようです。この地に佐々木酒造店を創設したのは明治4年で、創業以来140年以上たつ老舗の蔵ですが、今では名取市に唯一ある蔵となっています。でも創業のころの経緯は調べてもよくわかりませんでした。 

名取市はJR東北本線の名取駅を中心に東西に広がある大きな町で、名取駅から海岸までは約6kmほどありますが、ほとんど平らな街なので津波は海から2㎞程まで内陸まで来たそうです。蔵は海岸より1㎞程内陸の名取川のほとりにあったので、まともに津波に被ったとそうです。 

専務取締役の佐々木洋さんは地震の時は出かけていて、揺れがひどかったの蔵の煙突が心配で蔵を見に戻ったら、案の定煙突は折れて倒れかけていたけど自社の敷地内だったので安心していたところ、津波が来るのが見えたので急いで鉄筋コンクリートの建屋の屋上に逃げて命拾いをしたそうですが、他の建物は全壊したそうです。その時の写真がこれです。この建物は39年前の宮城県沖の地震の後に土蔵から鉄筋コンクリート造りに変えたので、生き延びたのですね。 

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このあたりを洋さんに車で案内してもらいましたが、防波堤を2重に作って閖上地区は徐々に色々な施設ができつつありますが、まだまだ復旧の2-3合目くらいの感じに思えました。この蔵は昔はどんな蔵だったのでしょうか。明治時代は「佐々木多利治酒造場」という名前だったそうで、その時の絵ハガキを洋さんが見つけてFACEBOOKに載せていたので、お見せします。下の写真のように凄い立派な蔵ですが、縮尺は正しいかどうかはわからないそうです。この蔵が佐々木酒造店になったのはいつごろかわかりませんが、この煙突と中庭はあったそうです。この当時の生産量は400石でしたが、震災の前は200石位だったそうです。 

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震災後、被害を受けた蔵の中に奇跡的に3つのタンクの純米酒「宝船浪の音 名取物語」の新酒だけが無事だったので、6月には他の蔵の設備を借りて瓶詰めし、2012年の2月には閖上さいかい市場内に仮店舗を造り、3月には震災復興酒「閖(ゆり)」として発売したそうです。そして2013年度にはお酒を造りたいといろいろ検討してきましたが、復興計画がなかなか決まらないので、元の土地での再開は不可能と判断し、名取市内の下余田に復興工業団地ができることになったのでそれに申し込み再開の準備に入りました。ゼロからの復旧でしたが、多くの蔵からの支援を受けて、その年の12月にはこの団地内に仮設の蔵を造り現在に至っています。 

現在の会社の組織を見てみますと、佐々木洋さんが専務取締役、弟の佐々木淳平さんが取締役杜氏で、社長が母の佐々木知加枝(ささきちかえ)さんでした。あれ、父親は何をしているのかと思い調べてみますと、お名前は佐々木一十郎(ささきいそお)さんで、1998年から2004年までは佐々木酒造店の社長をされていたのですが、2004年に名取市の市長に当選されて時、社長をおやめになって奥様の知加枝さんにバトンタッチしたようです。これはたぶん市長の公務員としての制約のためだと思います。 

その後3期市長を務めましたが、2016年に選挙に敗れて、現在は元々経営していた美田園わかば幼稚園の園長をしておられて、酒造りにはタッチしておられません。この幼稚園は元々祖母が創立した幼稚園で、蔵の隣に閖上わかば幼稚園としてあったのですが、震災で壊滅してしまいました。震災前までは知加枝さんが理事長をされていましたが、震災後は場所を移して新しく美田園わかば幼稚園として再開していたようです。なるほど、明治時代の蔵の広い土地の一部が幼稚園になっていたのですね。ですから佐々木家は名取市の名士だったことが良く判りました。 

それでは蔵の見学した状況を紹介しましょう。 

前述したとおり仮設蔵は駅から東に2㎞程行った工業団地内にありますの徒歩でお伺いするつもりでしたが、洋一さんが車で迎えに来ていただきました。工業団地の入り口は自分のカメラで撮ったのですが、設定を間違えて撮ったため写っていませんでしたので、グーグルMAPから拝借しました。 

まずは工業団地の入り口です。奥に四角い箱のような建物が工場群です。 

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上から見てみましょう。上の列の左から2番目が佐々木酒造店の蔵です。広さは20m×25mで、高さは5mくらいでした 

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構造は鉄骨スレート造りで、空調がない代わりに窓をふさいで、壁は発泡ウレタンを吹き付けて断熱していました。この断熱性は非常に効果があるそうです。空調がないので10月から4月で酒造りをしているそうです。 

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この建物の全体写真は撮れませんが、下の写真を見てください。床はコンクリートでリノリウム処理はしていません。広い建屋の中で冷蔵庫と麹室とボイラーだけがプレハブ小屋のなかに設置されていますが、後の装置は床の上に置かれていました。これらの装置の多くは全国の色々な蔵からの応援でそろえることができたそうです。 

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この応援には宮城県産業技術センターの橋本建弥さんが全国の技術者仲間に応援の声をかけていただいたおかげで出来たそうです。良かったですね。 

それでは造りの流れに沿ってご紹介していきます。 

この地は家庭用の水道水しかないので、超軟水の仕込み水をローリーで運んで使っているそうですが、そのためのトラックは九州の焼酎メーカーから頂いたものだそうです。ローリーの水を中空糸ろ過で奇麗にして仕込み水として使っているそうです。 トラックやその他の機械をいただけることになり、現地まで取りに行ってトラックを運転して戻ってきたそうです。とても大変だったそうです。

原料米はちゃんとした置き場はなく、空いているところに置いてありました。使用しているお米は地元のひとめぼれ、県北のトヨニシキ、山田錦の3種類だけです。 

洗米は自動計量機とウッドソンの組み合わせて使っていいました。 

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この蔵は麹米も掛米も限定吸水をしていて、洗米したお米を袋に入れて、盥の中に一定時間沈めて浸漬するそうです。 

使用している水の温度は下記のプレートフィン熱交で温度制御をしているようです。どんなものに使ってるのかは聞き損ないました。

 

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蒸気発生装置として三浦製作所の0.75トンの重油式小型ボイラーでを購入しましたが、消防法の関係で建屋の中に設置されていました。 

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造られた蒸気は下の写真のスチームクリーナーで奇麗にされ、必要な温度にまで加熱されます。この装置は神戸の櫻正宗さんから頂いたそうです。 

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甑は1000㎏で、通常は300kg~500kgのお米を蒸しています。この部屋は蒸気の排出装置はないので、出口までもっていって蒸すそうです。その写真がありましたのでつけておきます。 

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雨の日はいろいろな対策ををするそうですが、晴れの日はこんな形で蒸しているようです。
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蒸したお米はスコップですくい上げて冷却しますが、温度の高い麹米は簀子の上で手でかき混ぜながら冷却し、温度の低い掛米はこの放冷機(中古品を購入)で行うそうです。 

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次は麹室ですが、奥に自動製麹装置がありますが使わないで、床を使って造っているそうです。一部屋しかないので出麹も同じところでやるので温度管理が大変だそうです。 

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これが酒母タンクです。随分小さいですね。 

Dsc_0397_2酒母造りは高温糖化酒母方式だそうです。具体的には最初に麹と水だけで60度でドロドロした甘酒状態にしたのち、水を入れて40度のなったところで乳酸を投入し、さらに25度まで冷却して酵母を入れて発酵させ酒母とするそうです。 

なぜ高温糖化酒母を使ったかというと、酒母室がないので雑菌による汚染を恐れて、より安全な高温糖化法を選んそうですが、初めての試みでしたので色々な人に相談したそうですが、伏見の藤岡酒造さんには大変お世話になったそうです。 

次はいよいよ仕込みタンクです。 

3000Lのステンステンレスタンクが5基あり750KL仕込みをしているそうです。週1本仕込みで、金曜日が添え仕込み、土曜日が踊り、日曜日が仲仕込み、月曜日が留仕込みだそうで、麹は米の状態で変えますが、一般的には酒母が総破精で添え以降は突き破精にするそうです。 

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いよいよ搾りですが、この蔵は全量槽搾りだそうです。槽は佐瀬式吟醸用搾り機で、最新のものを購入したそうですが、自動化が進み手がかからないのでとても使いやすいそうです。 

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瓶詰め用の瓶太くんとイタリア製の打栓器がありました。すべて貰い物のようです。 

Dsc_0401_3Dsc_0408以上で蔵の内部の様子の説明を終わります。 重要な設備は将来引き続き使えるように新規購入し、そのほかのものはできるだけお金を使わないように工夫していることが判りました。でもお酒の質を落とさないことには壽分気配りをしているようでした。

今後の計画をお聞きしたところ、早ければ来年の10月に元の場所に新工場建設のスタートをさせ、再来年の秋に新工場をスタートさせたいとのことでした。 

その日の夜に仙台市の勝山館で第20回みやぎ純米酒倶楽部「穣の宴」に参加して佐々木酒造店を訪れ、佐々木兄弟にお会いしました。その時の写真です。右の方が兄の専務取締役の洋さんで蔵全体のことと麹造りを担当しています。左の方が弟の取締役杜氏の淳平さんです。お二人ともどこかの蔵で修業したわけではなく、蔵に南部杜氏がいた時にその方から勉強したようです。 

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蔵見学を通してこの環境でどうして素晴らしい酒ができるのかわかりませんでした。仮設の蔵で設備が十分でないのに、奇麗だけど当たりの柔らかいふくらみのある味がするのはどうしてですかと洋さんに聞いたら、仕込み水ではないですかと答えられたけど、僕はそれだけではない、二人の造りに対する思いの表れではないかなと思いました。二人を見ていると震災の苦労などは少しも見せないで前向きに取り組んでいるのは、良き父、母のもとですくすく育った生まれの良さがあるのではとも感じました。これから新工場ができてどのようになっていくのか楽しみです。これからもずっとウオッチして応援していきたいと思います。 

佐々木洋さん 蔵のご案内ありがとうございました。

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2017年4月19日 (水)

結城酒造のお花見の会でちょっとだけの蔵見学

結城酒造のお酒の結を本格的の飲んだのは、昨年の夏、横浜の鳥みきで結城酒造の蔵元を囲む会に出席して飲んだのが初めてです。その時飲んだ雄町の結が気に入り、その後は目白の田中屋で結シリーズは全部購入しているので、我が家には今5本くらいあるのではないかな。蔵の歴史や美智子さんが杜氏となったいきさつや飲んだお酒について下記のブログにまとめてありますので、良かったら見てください。
http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-5c1d.html 

その鳥みきの会でご一緒した日本酒カレンダーの作者の浜田さんから、4月に結城酒造の蔵でお花見の会があるので参加しませんかとお誘いを受けて実現したものです。このお花見の会では蔵見学はしていませんが、個人的に昌明さんの許可を得て、ちょっとだけ蔵の内部を見ることができましたので、後でご紹介します。 

お花見はどうやって行われているのでしょうか。花見と蔵見学ツアーという催しは聞いたことがありますが、蔵の中でお花見をするのはあまり聞いたことがありません。初めての参加でしたので、全く想定ができず、蔵の中のお庭に大きな桜があって、その周りで花見をするのかなと思っていましたら、全く違いました。お隣のお寺に咲いた桜を借景に蔵の外で花見をするのです。 

ちょっと写真を見てください。花見をしている場所から蔵の母屋を見ているところです。蔵の右側に大きな桜がちょっと見えるでしょう。 

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僕の友人の西田さんが撮った写真がわかり易いのお借りします。煙突の奥に大きな桜並木が見えるでしょう。これがお寺の桜です。手前の緑のタンクの奥がお花見会場です。 

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会場からは桜並木を見るとこんな風景になります。奥にお寺さんらしきものが見えますね。 

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お寺と会場の間は駐車場になっていて障害物がないので、お寺の桜が借景となっているのです。ちょっと距離があるけど花びらも飛んできてなかなかのものでした。 

どうしてこんなことができるのでしょうか。それを知るためにはちょっと蔵の歴史を知る必要がありそうです。結城酒造は近江商人の近江屋久右衛門1594年に創業したと言われています。今から400年以上前のことで、現在の社長の浦里和明さんは37代目だというからとても古い蔵ですが、今の場所ではなかったようです。1850年に火災を起こしたのをきっかけに江戸時代の安政年間(1854~59年)に現在の場所に今使用している安政蔵が建設されたようです。それより以前の蔵も今の駐車場の所にあったようで使用していなかったので、最近になってそれを売り払ったために広々とした駐車場ができ、お寺のさくらを借景とすることができるようになったそうです。 

それをちょっと地図で確認してみましょうか。下の写真を見てください。花見会場が判るようにしてあります。土地の権利のことはわかりませんが、もともと駐車場を含めて広い土地を有していたのでしょうね。 

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まず蔵の入り口を紹介します。母屋の前にこんな立派なもんがあるだけで、蔵の歴史を感じますね 

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門の入り口に登録有形文化財と書いてありました。対象は安政蔵とその後からできた新蔵とレンガ造りの煙突だそうです。 

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門を入ると左側に蔵の中心部が見えます。古いけど造りがしっかりしています。 

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左側にはお庭がありました。たぶん浦里さんのお住まいのようです。素敵な雰囲気ですね。 

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真っすぐ行くと広い土間があって、受付がありその奥がお花見会場になっていました。 

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会場は蔵の奥に簡単なテーブルといすが置かれていて、約100名ほど座れる状況でした。各人は持ってきたお酒や食べ物のほかに、蔵から出されるお酒やつまみを食べながらの大宴会です。 

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開会は浦里昌明さんと美智子さんのご挨拶から始まり、夕方まで行われたものと思われます。僕は用事がありましたので3時には失礼しましたが、帰る間際にちょっとだけ蔵を美智子さんに案内していただきましたので、紹介しましょう。 

<原料処理関係> 

ここがお米の洗米と浸漬をする場所です。いろいろなものが見えますが、新しい洗米機らしいものが見えました。 

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洗米機と言えば最近ウッドソンが多いですが、なにやらそれより高級そうですね。よく見ると吉崎特殊工機と書いてありました。中々よさそうな装置です。 

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<甑> 

割りと小ぶりの和釜が2台ありました。放冷機が見えませんが甑倒しが終わっているので、どこかにしまってるのでしょう。奥の扉の中が仕込み室のようです。 

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<仕込み室> 

この蔵には酒母室はないので、ここで酒母を作るそうです。手前古いタンクがありましたが、これは仕込み水を冷却して5℃以下にする水タンクだそうです。この水で洗米をするそうです。 

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<麹室> 

奥の扉は麹室ですが、中は1室で、引き込み口と出麹口が同じなので、とても苦労するそうです。ここは改善したいとおっしゃっていました。 

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<仕込みタンク> 

結の本醸造の醪がありました。結の酵母はすべてM310だそうです。 贅沢ですね。

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<斗瓶取用仕込みタンク> 

袋搾りのタンクで、斗瓶が置いてありますね。 

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<搾り機と瓶詰め> 

搾り機は薮田ではなく少し小型の昭和製作所の搾り機で、手前にあるのは直汲み瓶詰機だと思います。 

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この蔵は特に新しいものは置いていませんが、古いけど活力を感じられるように思えました。去年の生産量は200石だったそうですが今年は250石まで生産量が上がったそうです。昌明さんの夢は500石まで生産量を上げたいそうですが、そのためには効率アップの仕掛けがいりますね。僕には麹室がネックになるような気がします。今後どのようにしていくのか楽しみです。 

最後にこの蔵の結のお酒に興味ある方のために蔵に並んでいる結シリーズの写真を撮りました。結シリーズはラベルの色でお酒の種類が判るのはうれしいですね。

 

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お酒の種類は左から下記のようになりますが、生酒がと火入れがあると思うので、生酒かどうかは買うときにチェックしたほうがいいです。僕は生酒の直汲みがおすすめかな。

1.山田錦 純米吟醸酒 50%精米
2.びぜんおまち 純米吟醸酒 50%精米
3.あかいわさんおまち 特別純米酒 60%精米
4.まっしぐら 純米吟醸酒 45%精米
5.夏吟風 北海道産純米吟醸 50%精米
6.きたしずく 特別純米酒 60%精米
7.特別本醸造 まっしぐら 55%精米
 

以上でお花見の様子と糠の紹介を終わります。これからもいいお酒を造り続けて下さい。

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2017年4月11日 (火)

舞美人の美川酒造場はオンリーワンのお酒を醸しています

福井県のフェニックスホールで開催される越前・若狭の地酒「春の新酒祭り2017」に参加する前に蔵を2件訪問しましたが、最初に訪れた田邉酒造については下記のブログを見てください。
http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-ea66.html  

二つ目に訪れた蔵は舞美人を造っている美川酒造場です。この蔵は福井駅の近くを流れる足羽川を上流に約3.5kmほど登った川のほとりにある蔵です。創業は明治20年だそうですが、昭和23年の福井大地震の時に蔵の大部分が壊れて立て直して再開したそうです。  

福井駅からタクシーで行ったのですが、運転手さんが舞美人の蔵は知らないし、飲んだこともないということで、ナビを使って近くまでは行ったのですが、道に迷ってやっと到着しました。周りは見渡す限りの田圃の中にある小さな小稲津町の中にありました。 

下の写真が蔵から見た田園風景で、道を挟んで向こう側に1町(約9000m2)の酒米用の田圃があり、山田錦と五百万石を栽培しているそうです。蔵の生産高は120石と小さな蔵ですが、それでも蔵で使う酒米の30%しか取れないそうです。米造りには結構広い場所が必要なのですね。 

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それでは蔵の入り口の写真をお見せしましょう。比較的新しく見えますが、福井大震災後に再建された建物なので昔ながらの趣はありませんが、とてもそれらしい雰囲気は感じられます。 

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蔵の案内は蔵元杜氏の美川欽哉さんにしていただきました。欽哉さんは6代目の蔵元で大学(日本福祉大学経済学部)を卒業後すぐに蔵に戻り、蔵の杜氏をしていた越後杜氏の丸山さんから指導を受け、酒造りを身につけられたそうです。現在は自ら杜氏として頑張っていますが、造りは奥様とアルバイトの3人だけでやっているそうで、毎日大変だそうです。 

欽哉さんのお写真を撮り忘れましたので、インターネットから拝借しましたが、ちょっと若い時のお写真のようです。現在はもう48歳だそうです 

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舞美人という名はお酒の銘柄には珍しい名前なので、奥様の久美子さんが美人なのでつけたのかと思っていましたら、違っていました。この地は越前松平氏(福井藩)の領地で、松平のお殿様が鷹狩に来られた際に休憩される場所が蔵がある小稲津町でしたが、その時、村一番の美人が舞を献上しおもてなしをしたそうで、そこから付けられた名前だそうです。 

蔵に戻ったときは端麗辛口のお酒だったそうですが、自分が杜氏になってからは毎日の晩酌に欠かせない食中酒を目指しており、濃醇旨口のお酒だそうです。蔵見学が終わった後、飲させていただきましたので、どんなお酒なのかを後で説明したいと思います。 

早速蔵見学した様子を紹介しますが、この蔵は設備的に目新しいものはほとんどなく、特徴的なのは和釜と木槽ぐらいです。 

<仕込み水> 

仕込み水は井戸からポンプでくみ上げていますが。弱軟水だそうで、飲んでみると柔らかいけど味のある水でした。下の写真が井戸です。 

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<和釜>
 

比較的大きい和釜が一つあり、その隣には放冷機がありました。原料米は自社田の五百万石、山田錦、福井県産の五百万石、兵庫県産の山田錦のほかに、はなえちぜんも使っているそうです。 

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 <放冷機> 

どの蔵にもみられる昔からの連続放冷機ですね。 

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<麹室> 

下の写真の中央下が麹室の入り口ですが、とても麹室の入り口には見えません。説明を受けない限りここが入口であることはわかりません。人が屈んで入れるくらい小さな入り口で、出麹の出口にもなっています。枯らし場が2階にあるので、ここを麹を担いで運び出すのが大変だそうです。 

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<酒母室> 

とても簡素な酒母室ですが、山廃も速醸も同じ部屋でやるそうです。その比率は山廃:速醸は60:40くらいだそうです。この蔵では酒母は時間をかけてしっかり作るそうで、これがこの蔵のお酒の味を決めている大きなところかもしれませんね。 

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<仕込み室> 

ここが仕込みタンクですが、全て解放タンクです。奥に密閉タンクが見えますが、それは貯蔵タンクで、貯蔵タンクも同じ場所にあるそうです。仕込みタンクは1トン仕込みが多いそうです。 

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<醪用ポンプ> 

これは醪を搾り機の送るための専用ポンプでピストン型の古いものですが、醪中の澱の部分も送ることのできる優れものだそうです。 

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<木槽> 

この蔵の特徴になる木製の槽搾り機です。木製の槽はなかなかお目にかかれないですが、やはり独特の趣があります。木でできている部分は柿渋を塗ってあるそうですが、毎年塗りなおしているそうです。そうすることでこの雰囲気が出てくるのでしょう。 

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この箱の中にお酒を入れた布袋を何段にも重ねていき、上からピストンで荷重をかけて搾ります。搾りには3日間かかりますが、柔らかい酒質になるので、変えるつもりはないそうです。でも人手がかかるのでないかとお聞きしたら、皆でやるしかないとのことでした。

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以上で蔵の説明は終わります。ここでどんなお酒を造っているのでしょうか。非常に特徴のあるお酒ばかりでしたので、紹介しましょう。 

試飲のためにこの蔵のお母さまがおつまみを作ってくれました。 

生湯葉の辛し和え 

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牛すじとコンニャク

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<試飲したお酒> 

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右のお酒から紹介しますと、下記のようになります。 

1.山廃純米吟醸 生原酒 27BY 

 このお酒も自社田の五百万石50%精米の山廃純米吟醸酒で、1年間熟成したいさせたものです。なぜか熟成香はせず、吟醸香もなくその代わり不思議な香りがしました。よく嗅いでみると沢庵臭なのですが、嫌な感じはしません。山廃なので蔵付き酵母がメインですが、最後の段階で福井県が開発した福井うらら酵母を添加したそうです。 

2.山廃純米  五百万石 低アルコール  

このお酒も自社田で五百万石で作った山廃の純米酒ですが、完全に蔵付き酵母だけで作ったお酒で、生原酒にもかかわらず、アルコール度数が12-13度しかなく、日本酒度はー30、酸度4.0という驚くべきお酒でした。一言でいうと甘酸っぱいお酒お酒ですが、バランスが良く、とても飲みやすいお酒になっていました。 

3.特別純米 無濾過生原酒 28BY 

 このお酒はこの蔵のスタンダードのお酒で、今年のお酒ですが少し色がついていて、しっかりした味わいで、適度な酸味が後味を切ってくれるお酒でした。表示はないけど酸度は1.7くらいあるそうです。お米は福井県の産のはなえちぜん60%精米と思います。 

4.特別純米 山田錦85 無濾過生原酒 27BY 

   85%精米の自社田の山田錦を使った純米酒で、協会7号の泡あり酵母を使ってどしっとした味わいのお酒で、1升3000円を割ったお酒を狙ったものだそうです。タンクで1年熟成させたアルコール度数が18%もある生原酒です。香りはちょっと軽い熟成香と穀物ぽい香を感じるけど、口に含むとこの香りを感じなくなり、適度な酸味(たぶん1.7くらい)がすっきり切ってくれるお酒でした。 

5.純米大吟醸 無濾過生原酒 27BY 

 40%精米の自社田の山田錦を使った純米大吟醸です。酵母は金沢の14号酵母を使っていますが、奇麗ではあるけど酸度は2.8もある甘酸っぱいお酒でした。このお酒も1年常温熟成させています。酒母はしっかり時間を掛けて、発酵が止まった後のからし時間をしっかりとることが酸を出す大きな原因となっているようです。速醸でも25日にもなることがあるそうです。常温生熟成でも熟成香がしないのは酸が2.8もあるからだと思います。日本酒は奥が深いですね 

6.純米吟醸 酒粕再発酵酒 

 山廃の酒粕を再発酵させたお酒で、梅酒のような味わいで、アルコール度数は17度のお酒でした。 

以上で飲んだお酒の説明は終わりますが、この蔵のお酒の特徴は酸味にあると思います。基本的には食中酒を狙っているので、旨口にしていますが、酸のおかげでそれを感じさせません。しかもこの酸のお陰か、生で熟成しても生塾にならないお酒になるのはこの蔵独特のものだと思います。日本酒の幅は広いけれど、その中で舞美人は酸味と旨みのある個性豊かなオンリーワンのお酒を造っている蔵だとおもいます 。これは素晴らしいことだと思いますが、毎年作ってみないと味が決まらないのはちょっと心配ですね。

舞美人は生産量が少ないので、限られた酒店でしか扱っていませんが、購入したい方はおこの蔵の通販をつかうのが良いと思います。耳寄りなニュースをお知らせしておきます。今年の新宿の伊勢丹で5月17日から23日に試飲販売できるようです。 ぜひ行ってみてください。

最後に社長がこれからやりたいことは何ですかとお聞きしたら、麹室を改修したいのと木桶でお酒を造ってみたいそうです。ぜひ、木桶をは似合ってるとおみますので、やってもらいたい気がします。このように小さくても個性豊かな蔵は応援していきたいですね

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2017年4月 1日 (土)

田邉酒造は世代交代が旨く行っていますね

3月は毎年新潟酒の陣に行っていましたが、年々参加者数が増えて、ゆっくりお酒を味わうことが難しくなったので、今年は新潟の陣をやめて、同じ3月に行われる福井県のフェニックスホールで開催される越前・若狭の地酒「春の新酒祭り2017」に参加することにし、その前の日に福井県の蔵を2蔵訪問しました。 

訪れた蔵は越前岬を醸造している田邉酒造と舞美人を醸造している美川酒造場です。この二つの蔵とも2009年に福井県のアンテナショップの南青山291で行われた越前・若狭の地酒の会と、2013年に椿山荘で行われた蛍と夕べの会でお会いして、僕が気に入った蔵の一つでしたのですが、その2つの会の様子のブログは下記のURLに書いてありますので見てください。 
 
今回は酒友達の入江亮子さんの案内で蔵訪問しました。まずさっそく田邉酒造をご紹介します。
 
田邉酒造
 
蔵は福井駅から出るえちぜん鉄道の勝山永平寺線の観音町の駅から歩いて1分の所にある小さな蔵です。日本一駅から近い蔵ではないかな。この地は九頭竜川の下流に位置する松岡地区であり、サクラ鱒を求めて多くの釣り客が来る清流の町として知られるだけでなく、米どころでもあります。またこの蔵から600mにも満たない近くには福井県内の大手蔵である黒龍酒造がある酒造りでも有名なところで、戦前は17もの蔵があったと言われていて、県内でも有数の酒処として知られてきたそうです。
 
蔵の入口の写真を見てください。入母屋造りの格式高い建物だそうで、社長の邦明さんのお話ではもともと武家の出だから出来たようです。
 
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ちょっと拡大しますので良く見てください。一番右側の看板に大本山永平寺御用達と書いてあります。この地区にあった17の蔵の中では格式の高い蔵だったと思われます。
 
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 蔵自身はそんなには大きくなく、現在の生産量は300石強で、蔵の裏はえちぜん鉄道が走っていますのでとても手狭ですが、中は立派なお庭がありましたが、一部干場と化していました。ちょっと残念ですが、仕方がないかもね。
 
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 下の写真がえちぜん鉄道側から見た蔵で、屋根が茶色の建屋が麹室の場所です。電車の振動は麹造りには良いかもしれませんね。
 
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 さてちょっと蔵の歴史を見てみます。創業は明治32年ですからそんなに古い蔵ではないけど、永平寺に来る人たちに飲まれていたのかもしれませんね。この蔵が大きく変わったのは現社長の田邉邦明さんが蔵に戻ってからです。邦明さんは大学を卒業後、宝酒造に勤めていたのですが、親が亡くなられた25歳の時(1973年ころ)に蔵に戻ってから社長をされています。邦明さんがまず考えたのは地元の人に喜んでもらえる酒を造りたいので、吟醸造りを主体にしていきたいと思ったそうです。 
 
そんな時に北の誉で杜氏をしていた南部杜氏の鷹木美芳さんが、吟醸造りをやりたいのなら自分を雇ってほしいという申し出があったので、酒造りをお願いすることになったそうで、それは30年前の1987年のことだったそうです。鷹木さんは非常に腕の立つ方でしたので、最初からいいお酒が造れたので、平成に入ってからは10回も全国新種鑑評会で金賞を取る蔵になったそうです。
 
それまでは「越前菊水」と「優勝」という銘柄のお酒を造っていましたが、それは社会人野球で有名な熊谷組は田邉酒造と親戚の関係があったので、熊谷組が世界一になった時に熊谷組の会長が「優勝」という名前を付けてくれたのが始まりだったようです。おかげで、近鉄バッファローが優勝した時はものすごい注文があったという良い面はあったけど、地元の人から地酒を飲んだ気持ちにならないと言われたそうです。それを何とかしたいと、新しく作った酒の名前を「越前岬」としたそうです。福井県らしい名前ということで社長が考えたものだそうです。今では主流銘柄となっていて、現在では全量本醸造以上の特定名称酒のみを作っているそうです。
 
現在、蔵の酒造りは息子さんの田邉啓朗さんと田邉丈路さんがやっておられて、兄の啓朗さんは専務取締役として営業。・経営を担当し、弟の丈路さんは杜氏として活躍されています。啓朗さんは中央大学商学部を出た後は父と同じように宝酒造で営業を勉強した後、2005年に蔵に戻っています。一方丈路さんは明治学院大学法学部を出たので蔵に戻るつもりはなかったのですが、昔からお酒は好きだったし、酒造りには興味があったので、、いざ就職する段になった時に杜氏も歳を取っていたこともあり、蔵に戻って酒造りをする良いチャンスだと思って決めたそうです。
 
丈路さんが蔵に戻ったのは2004年なので、お兄さんより人足早く蔵に戻ったわけですが、酒造りをしたかったので、すぐ鷹木杜氏に直接指導を受け、2011年には南部杜氏の資格を取り、2012年には鷹木杜氏に代わって蔵の杜氏にになったそうです。
 
鷹木さんは田邉酒造の杜氏として長い間活躍されただけではなく、福井県の杜氏研究会の会長をされるなど、多くの醸造家に慕われる方でしたが、今年の2月に84歳でお亡くなりになったそうです。冥福をお祈りいたします。
 
それでは蔵の中をご紹介しましょう。蔵の案内は杜氏の丈路さんにしていただきました。久しぶりのお逢いしましたが、相変わらず清純な感じが残ったままでしたね。
 
仕込み水
地下30mからくみ上げている水を使っていますが、硬度3以下の超軟水です。ですから、とても柔らかいお酒になるけど発酵しにくいので時々苦労するそうです。特に今年は留の後の醪がなかなかわいてこなかったので心配したそうですが、無事乗り切ったそうです。苦労があるのですね。
 
ここが仕込み用の井戸です。
 
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<原料処理>
 
原料処理と言えば洗米、浸漬を言いますが、使用しているお米は兵庫県の山田錦、福井県産の山田錦、五百万石だけですからとてもシンプルですが、この工程を酒造りの中で一番気を使っているところだそうでです。精米は福井県はすべて共同精米だそうです。
 
本醸造の掛米(五百万石)以外はすべてウッドソンの洗米と金笊による浸漬をしています。毎年米の出来が違うので特に年前の時期は神経を使うそうです。
 
ウッドソンの洗米機です。福井県では導入が早かったそうです。
 
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浸漬用の金笊です。
 
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本醸造用の昔ながらの洗米浸漬装置です。
 
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<甑>
甑はすべて和釜を使っていて2台ありました。大型のものは1000kg、小型のものは300kg用で甑はステンレス製でした。釜は釣り上げて洗浄するので、設置する時に赤土で土嚢のように敷いた上に載せていました。ちょっと赤く見えるでしょう。
 
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<放冷機>
 
写真は普通の放冷機ですが、添えのように温度が高めでいい時は簡易放冷機を使うそうです。1000kg、1200kgの掛米はエアシューターで運びますが、そのほかは担いで運ぶそうです。

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<麹室>
 
下の写真が麹室ですが、先ほど紹介したようにこの裏にえちぜん鉄道が走っているので、この扉から入って左側に1室の麹室があるそうです。床が2つあるだけのシンプルな室のようです。
 
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<仕込み室>
 
ここが仕込み室ですが甑倒しが終わって仕込んでいるのは2本だけなので、中の見学はしませんでした。
この蔵は使用しているお米の種類は少ないですが、酵母はいろいろ使っていました。使っている酵母は6号酵母、9号酵母、1401酵母、1801酵母、福井酵母、金沢KZ酵母だそうです。本醸造は6号酵母と9号酵母のブレンドで、純米酒は14号酵母と9号酵母と6号酵母を、大吟醸系では18号酵母と酸の少ないKZ酵母を使っています。辛口純米酒は6号酵母、出品酒は1801号酵母で、福井酵母は今年から始めたそうです。
 
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仕込み蔵に面白いものを見つけました。この小さな120㎏タンク2本です。これは梅肉屋の垂れツボからサンプリングした梅酵母を使ったものです。お酒は500万石70%精米の純米で、アルコール濃度は12%位で、日本酒度ー36、酸が4.2のお酒だそうです。1本は原酒でばし、もう1本は炭酸を入れた微発泡酒で販売してるそうですが、量が少ないのでなかなか手に入らないそうです。
 
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<槽搾り>
この蔵は全量槽搾りで、ちょうど600㎏仕込みの五百万石の純米吟醸を絞っているところでした。現在800kgの圧力をかけて絞った状態で、これから最後の責めの絞りをするために、袋を取り出し詰めなおすところでした。
 
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こんな大きな木材で抑えているのですね。

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槽搾りへのお酒の供給のために一旦上部においてあるタンクに受けます。

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槽から出たお酒はこのコンクリートの枠に入れたタンクに受けます。

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下の写真は最後の責めの絞りをするために、袋を積み替えているところです。600kg仕込みなので230枚の袋があり、これを中央に積み上げて、1200kgの圧をかける責めの絞りに入るそうで、責めの絞りは1時間弱で終わるそうですが、最後のかたずけの作業に時間がかかるそうです。搾り作業全体では48-50時間かかるそうで、薮田に比べるととても大変な作業ですね。ここで働いていた蔵人もつらい作業なので、薮田のある蔵に行ってしまった人もいたそうです。

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この大きな槽搾り機とは別に下の写真のような斗瓶どり用の小型の槽搾り器がありました。この装置を使っても斗瓶どりには5時間くらいかかるそうです。

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青色のシートがかかっているところが袋吊りの場所だそうです。

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絞ったお酒はこの山中技研工業のSFフィルターを通して、ビン詰めラインに送るそうです。SFフィルターは0.1~0.3ミクロンの穴の開いている中空糸フィルターで、小さなごみや火落ち菌などの一般細菌を取り除くことができるそうで、活性炭は使っていないそうです。

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どうしてSFフィルターというのかはわかりませんが、クラレ製の中空糸SFフィルターを使っているからのようですが、クラレは穴の大きさによりフィルターの名前を変えていて、この穴の大きさのものをSFフィルターと呼んでいます。
 
この蔵では普通酒と純米酒の1タンクだけをタンク貯蔵しており、他はすべて瓶貯蔵をしているそうです。
 
それでは試飲したお酒をご紹介します。
 
1.大吟醸 兵庫県産山田錦40%精米 18号酵母
2.純米大吟醸 兵庫県産山田錦50%精米 KZ酵母
3.純米吟醸18号 五百万石55%精米 18号酵母
4.純米吟醸 雪舟 五百万石55%精米 9号酵母
 
5.純米酒 五百万石60%精米 6号酵母
6.特別純米酒 福井県産山田錦605精米 6号酵母


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お酒の評価をする自信はないので、一つ一つをご紹介しませんが、色々な酵母を目的に合わせてうまく使い分けていているように思えました。大吟醸は18号だけど香りは抑え気味で少し酸味を出してバランスさせていますが、純米大吟醸は酸味はおさえて、奇麗な香りとバランスさせたお酒でした。
 
最後に試飲では紹介しませんでしたが、下の二つが気に入ってく入試てしまいました。特に純米吟醸福むすび斗瓶どりは山田錦55%精米の18号酵母のお酒ですが、2年間熟成したもので、とろみ感があり落ち着きのあるうまい酒で、2160円/4合瓶はお買い得です。吟の雫は山田錦40%の大吟醸でちょっと飲んでみましたが、確かに斗瓶どりの上のお酒でまろやかなな甘みが特徴でしたが、ちょっと若い感じなので1年以上熟成させて飲んでみたいと思っています。楽しみですね。
 
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丈路さんにこれからそんなお酒を造ってみたいかをお聞きしたら、基本は食中酒で、種類は増やさないで、一品一品少しずつ味わいのあるお酒にしているそうです。すぐやってみたいのは奥様が熊本出身なので熊本県産の飯米と9号酵母、福井県産の五百万石の福井酵母をミックスしたお酒を造りたいそうです。
この蔵のお酒の特徴を出すには半年から1年くらい熟成した方がいいことはわかっているので、新酒で出す酒と熟成して出す酒を棲み分けてやっているのことでした。
 
お話を聞くと黒龍酒造の畑山杜氏とは歳も近いし、同じ町の蔵なのでいつも仲良くさせていただいているそうで、そういう人からいろいろ学ぶ機会も多いようですし、最近は福井県内の蔵の人たちとの交流も多くなっているので、田邉酒造のような小さな蔵でも特徴を生かした酒造りを進めており、これから着実に進化していくように思えました。こういう小さな蔵が進歩していくことが福井県のお酒のレベルを上げることになるのだと思います。
これから頑張ってますます良いお酒を造ってください。 

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2017年3月16日 (木)

永井酒造はかなり完成した蔵ですが、まだ進化しています

永井酒造と川場村との関わり合いについては前のブログでご紹介しましたので、今回は蔵の酒造りの紹介をしたいと思います。この蔵は明治19年に初代当主の永井庄治さんが川場村の水の良さに惚れて創業したと聞いていましたので、まず地形から調べてみました。

まず下の写真を見てください。永井酒造と、吉祥寺、道の駅川場の位置関係が分かるように示してあります。この地区に1級河川が3本流れています。右から薄根川、それに流れ込む桜川、一番左側に流れる溝又川があります。永井酒造は桜川と溝又川に挟まれたところにあります。

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永井酒造の北に吉祥寺があり、その北の奥に武尊山があり、そこから流れ出してくる水が仕込み水となりますが、その水柔らかくて少し甘い、硬度が60の軟水です。下の写真は蔵から吉祥寺と武尊山のほうを眺めた時のものです。吉祥寺はちょっと見えませんが、奥に見ええるのが武尊山だと思います。武尊山はもともと火山で、5万年前に大噴火をしてすり鉢状のこの地ができたらしいです。

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蔵の南側は利根川の支流の片品川に向かって開けており、日当たりがよく、標高が500mもあるので、昼夜の寒暖の差も大きいので米の栽培に適しているそうです。その地形がよくわかる地図をお見せしましょう。赤い印が永井酒造で、南に633mの小さな山がありますが、ずっと開けています。

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この蔵は創業から130年を超える歴史がありますが、今の新しい蔵になったのは永井則吉さんが大学を卒業して蔵に戻った1994年です。則吉さんはその年に新しい蔵になることはわかっていましたので、蔵に戻るのならその時に戻らないと蔵人たちと同じ気持ちになれないと判断したそうです。蔵に戻って、持ち前の建築の腕を発揮して蔵人と一緒に新工場の建設に携わったことは後々大変勉強になったそうです。

新しい蔵の建設や水芭蕉の商品化を進めたのは1989年にカナダから蔵に戻ってきて社長になった、兄の彰一さんでした。もともと永井酒造は地元向けの酒の「力鶴」を主力製品としていましたが、品質が悪くあまり評判が良くなかったので、思い切って量から質への転換を試み、1992年に「尾瀬の酒 水芭蕉」を世に出すことに成功しました。その後順調に量が伸び始めたので、思い切って1994年に新工場を作ることにしたそうです。

古い蔵での売り上げは3億円(たぶん1000石弱)で新工場建設費は12億円でしたから、同業者からは2年でつぶれるのではないかと言われたほどだったようです。則吉さんのお話では新蔵で早く安定した酒造りをするのに懸命で、1年目はなかなか思う通りにはいかなかったけど、2年目には金賞ととれるほどにはなったものの、ちゃんと安定するには4年ほどかかったそうです。

ちょうどそんな頃フランス人のジャン・ミッシェルさんが蔵に来て、「日本酒はなかなかいいけど、ワインに比べるとアルコール度が高いのがネックかな」といったのが気になったのとワイン造りの奥の深さとワイン酒造りの思いに負けた気がしたそうです。それをきっかけに低アルコール酒を作ったけど売れないので、次にチャレンジしたのが発泡酒です。日本酒を瓶内二次発酵させシャンパンのようなスパークリングできないかということで、兄弟で力を合わせて開発して完成したのが、アルコール度13%の「MIZUBASYO-PURE」だそうです。このお酒が完成したのが2008年ですから兄が田園プラザ川場の社長になった2007年のちょっと後だったようです。

この蔵の前景の写真を撮りましたのでお見せしましょう。3階建ての立派な建物です。

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もっと近づいた時の写真もあります。奥に見える建屋が昔の蔵で、一部はお酒の試飲や購入のできる古新館と蔵カフェになっています

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今の生産量は3300石で、水芭蕉が1300石で、谷川岳が2000石だそうです。その造りの違いは以下の通りです。

水芭蕉:米は山田錦と川場村の雪ほたかで酵母が群馬県の開発酵母のKAZEです。KAZE酵母は9号酵母をベースで開発されたもので、カプロン酸エチルと酢酸イソアミルの両方を出る酵母です。

谷川岳:水芭蕉以外の米、五百万石、美山錦で酵母は9001号を使った地元向けに出しているお酒で、高いものでも純米大吟醸50%磨きで、3000円/1升、普通酒で1600円/1升と価格を抑えたお酒です。

それではいよいよ蔵の中の紹介をします。

<洗米浸漬>

この蔵は大吟醸も普通酒も8トン仕込みでこの写真の装置は浸漬用のタンクです。装置の下で洗米をしてこのタンクにあげて、それを袋に受けて手で限定吸水するとの説明でした。だとするとこのタンクは水切り計量タンクなのかもしれません。正確にはわかりませんが、全量限定吸水をすることは確かです。限定吸水だけは人手をかけて人海戦術でおこなっているそうです。

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ここで面白いものを見つけました。ここで使われる各種の道具が奇麗に整理整頓されていました。

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この整理整頓は元サントリーの工場長に来ていただいて、工場改革をしているものの一環だそうです。

<甑>

縦型の連続甑を使っていました。僕は初めて見たものですが、大変優れたものだそうです。お米を上から入れて下から蒸米を入れるのですが、一番下が上から重みで圧力がかかるのでここに温度の高い蒸気を入れることによって乾燥させるそうです。もちろん蒸気は上段、中段、下段と分けて吹き込むことができます。普通酒から大吟醸までこれを使いますが、能力は1.5トン/時間なので、600kgより少ない蒸しの場合は昔ながらの甑を使うそうです。

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この連続蒸し器の下部からは細かく分散された蒸し米が連続的に出てくるそうで、その部分を示します。

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<放冷機>

下の写真が連続放冷機です。

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放冷機の後は麹室まではエアシューターで送りますが、放冷機で35℃くらいになった蒸米を麹室に27-8℃に届くようにするための温風を作る装置が用意されていました。

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<麹室>

麹室と言いっても普通の室ではありません。連続製麹装置が置いてる部屋でした。でも則吉さんはこの装置を麹室と呼んでいました。装置そのものが麹室の機能を完全にコピーしているからでしょうね

これと同等の機能を持つ装置は他社でも使っていますが、基本的には従来の麹箱で使っているやり方に合わせてカスタムメイドにするので、1基2億円もするそうです

この蔵は総米8トン仕込みですから麹米は総量が1.6トンになるわけで、それを酒母用、添え用、仲用、留用に分けて麹を作りますが、酒母と添え、仲と留は一緒に造るので、1回の麹造りは800kg~900kgになるそうです。

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下の写真が一番上の部分で蒸米の引き込みと種切と床もみをするところです。床もみと言っても手でやるわけではありません。端まで動いたら、上から順次下の段に落としていきます。

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どこでどんな作業が行われるのかなどの詳しいことはわかりませんが、切り返し、盛、仲仕事、仕舞仕事と続くようです。

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麹の厚みの制御は下の写真ような歯型のついた板の角度を調整して行うようで、厚みは1cm刻みで3~7mmで可能だそうです。

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この製麹装置は装置を覆っている壁の温度制御と麹の厚み制御などで麹が予定通りの温度になるように人が制御しているので、完全自動ではなく人間の感性を生かして動かす装置です。でも麹をかき混ぜたり、清掃などは自動化をしてしていることにより、人がかかわりあえる時間をたくさん持てるようにしたそうです。

また、この装置は1週間ごとに1仕込み用の麹を作るので、1週間に2日は清掃に当て、4日半を麹造りに充てるようです。

下の写真は出麹の部分でここは完全に自動で温度管理と乾燥を行うそうです。

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<仕込み>

仕込みタンクは8トンタンク、5本で回しています。週1本仕込みで5週で廻しているそうです。各タンクはそこが丸くなっていて撹拌機がついているOSタンクと言われるもので、発生した炭酸ガスにより対流が起こり、攪拌する必要がないそうです。

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そしてこの5つのタンクはwindows系ではなくアナログ系のコントローラーで制御されていました

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試験的に行う小型の仕込みタンクもありましたが、3~5トンくらいあったような気がしました。

<火入れ>

谷川岳の普通酒はプレートフィン熱交燗器で火入れしていますが、それ以外のものはすべて生貯蔵をして、火入れする時はパストライザーで瓶燗火入れを行うそうです。写真にある小型プレートフィン熱交は熱交型火入れでもイソバレルアルデヒドを減らせるかのテスト用として購入したものだそうです。

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<貯蔵>

貯蔵タンクでちょっと面白いものを見せていただきました。発泡ポリウレタン断熱をした貯蔵タンクでー0.5℃。-2.2℃、-3.0℃、-4℃のタンクが置かれていて、谷川岳の普通酒以外のお酒はすべて生で低温熟成させ、毎月利き酒をして味わいが載ったことところで出荷するようにしているそうです。今年から谷川岳の普通酒以外はすべてこの生貯蔵を通ることにしたそうです。これはすごいアイデアですね。

この方式に至る前に熟成に関する様々な研究を20年間行ってきたそうです。最初15℃では熟成が早すぎて3年でピークが来てしまったので、10℃、5℃、0℃、-5℃の実験をしたら0℃~10℃は温度が低いほど熟成の始まると時期が遅くなるけど、熟成のスピードはほとんど変わらないこと、0℃以下になると熟成のスピード自身が変わってくることが判り、今では0℃からー5℃の温度帯の研究をしているそうです。ぜひこの研究はもっと深めてほしいと思いました。

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全部1万Lタンクで3000Lづつ瓶詰めするので、どうしても空気が入った状態になるので、全部窒素ガスでシールしているそうです。それなら窒素ガス製造装置を買ったほうが安いですよと進言しておきました。

<分析室>

この分析室に面白いものがあることを知りました。作ったお酒は容器の大きさごとに3本サンプルをとっておき、1本はこの分析室で常温に置き、1本が0℃保存をし、1本は利き酒ようとして使うそうです。鑑定士の先生と社長と杜氏と副杜氏の4人で月に1回きき酒をすることになっているそうです

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<MIZUBASYO-PUREの作り方について>

これを作るところはさすがに見せていただけませんでしたが、去年行われた日本酒セミナーでその作り方の紹介をしていましたので、それを紹介します。それによるとポイントは以下のようになるそうです。

・ 瓶内2次発酵でガスボリュウムを安定させる
・ 
濁り酒とクリアな酒の調合比の決定(味わいを整える)
・ 
澱の量を減らして動瓶しながら澱引きする
・ 発泡酒の火入れのタイミング
と経過温度
 

僕はこれについてさらに突っ込んで聞いてみました。

シャンパンでは澱の部分を凍らせてその部分を取る作業をしているのにPUREではどうしてそれをやらないのですかと聞いたら、日本酒の場合は澱が多くて逆さにすると瓶の口の広がった部分まで来るので凍らすことができないそうです。

それではその対策はどうするのですかと聞いたら、温度をー6℃以下に下げて十分に内圧を下げて、澱を抜くそうです。でも技術的には難しそうですねとお聞きしたら、確かに難しいけど、抜いた後でも全体の3/4は残るので、残ったどうしで混合して使うそうです。一本一本手作業なので高くなるのですね。

<古新館>

昔の蔵を改造して、展示と試飲ができる古新館で試飲しました。ここではオリジナルな食事や水出しコーヒーが愉しめる蔵カフェもあり、大変人気になっているそうです。

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<NAGAI STYLE>

則吉さんが社長になっていろいろな改革をしてこられましたが、そのなかで行ったことの一つにNAGAI STYLEの確立があります。これは料理に合わせたお酒の組み合わせとして以下の4つに分類し、料理の合わせて4つのスタイルのお酒を提供しようという考え方です

・ SPARKLING SAKE (乾杯の酒 MIZUBASYO-PURE)
・ STILL SAKE     (吟醸酒から純米大吟醸)
・ VINTAGE SAKE  (10年以上熟成酒、古酒ではない)
・ DESSERT SAKE  (貴醸酒をベースとした食後酒)
 

確かにこの考え方は同意できますね。問題があるとすれば、本当にそれにあったお酒が提供できるかどうかですね。

<試飲したお酒>

・ MIZUBASYO-PURE      4500円/4合
・ 純米吟醸 かすみ酒 山田錦60 1500円/4合
・ 純米吟醸 山田錦60        1300円/4合
・ 純米大吟醸 翠 山田錦50    1600円/4合
・ 純米大吟醸 雪ほたか50     2000円/500ml 
・ 純米吟醸 生酒
・ MIZUBASYO DESSERTSAKE 3000円/200ml

更に特別にお願いして純米大吟醸ビンテージ2005を飲ませていただきました。

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一本一本のお酒の批評はしませんが、僕のコメントを書いておきます。

・ 僕のお気に入りはデザート酒とかすみ酒でしたが、デザート酒は他にないオンリーワンのお酒でとても気に入りましたが、もうちょっと安くなってほしい

・ 家飲みするなら純米吟醸の1升瓶かな

・ 純米大吟醸の山田錦と雪ほたかの比較だと山田錦に軍配を上げるな。雪ほたかは価格が高いからね。

・ PUREはもう完成した域に入っているけど、初めて飲んだ時の感激はなかったのは、こちらが慣れたせいかもしれません。

・ ビンテージ2005は価格が約3万円弱と非常に高いだけにちょっとがっかり。確かに熟成して丸みが出て広がりのあるけど、これだけのお金を出すのならもっと凝縮感があって、奇麗で且つ味わいがあって伸びもあるけどいつの間にか消えてしまうような驚きがほしいと思いました。それをどうしてらいいかは素人の僕にはわからないけど、ヴィンテージに合わせたそれ専用の酒質を最初に作る必要があるのではと感じました。

<まとめ>

永井さん お忙しい中長い時間ご案内いただいてありがとうございました。永井さんが取り組んでいる方向に間違いはないと思います。酒造りには終わりがないと、絶えず探求し続けるお姿には大変共感しました。また、農家と一緒になって酒造りのための共同体を作ろうとしていることはこれからの酒造りの一つの方向だと思います。さらに努力していいお酒を造り続けてください。

最後に老婆心ながら、年寄りからの意見を一つ言わせていただきます。僕はこの蔵の造りの単位が大きいので、商品としては失敗できないという思いが出てしまうのではと思うのです。チャレンジし続けるには失敗を覚悟で試験を重ねることだと思います。そのためには造りの単位を7-800㎏レベルの試験ができる環境があったほうがいいのではと思いました。素人の意見ですがもし賛同をしていただjければありがたいです。

最後に改めて丁寧にご案内いただいた永井社長に感謝いたします。

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2017年3月11日 (土)

永井酒造(水芭蕉)と川場村との関わり合い

先月の高校の仲間と宝川温泉に行った帰りに、一人で永井酒造(水芭蕉)に行ってきました。永井社長とは昔から懇意にしていただいておりましたので、お忙しい中無理やり訪問させていただきました。その日は永井社長は北海道にお仕事で出張の帰りでしたが、上越新幹線の上毛高原の駅で待ち合わせて、社長が運転する車の乗せていただき、蔵に向いました。蔵に向かう間、蔵の歴史や川場村との関わり合いなど色々と教えていただき、しかもその現場をみせていただき、川場村の発展に真剣に取り組んでこられたことを知りましたので、蔵をご紹介する前に川場村との関わり合いについてご紹介したいと思います。

永井酒造と川場村との関わり合いをご紹介する前に、永井酒造の歴史を知ってもらう必要があります。もともと永井家は長野県の須坂の武家の出でしたが、明治時代の初め頃に長男が長野にのこり、八王子と沼田に分かれることになったそうです。八王子の方に行った人は後に都市ガスの付臭剤メーカとして理研香料工業という会社になったそうです。今はその会社の本社は港区の田町にありますが、社長は永井孝彦さんですから間違いなさそうです。
沼田には次男、3男、4男が酒ビジネスを始めたのですが、次男が酒問屋(永井酒販)、3男が永井本家酒造(利根錦)、4男が永井酒造(水芭蕉)となっています。永井酒造が川場村を選んだのは水が大変良かったからだそうで、創業は明治19年で今や130年の歴史を持つ老舗の蔵ですが、創業当時は200石足らずでスタートして、永井家グループでは一番肩身の狭い思いをしていたそうですが、今では3300石を生産する群馬県一の大きな蔵となっています。
この蔵をここまで大きくした原点は何といっても川場村の水にほれ込んだ初代社長の永井庄治のおかげですが2代目の力造さん、3代目の鶴二(則吉さんの父)さんが高度成長の波を受けて発展させ、4代目の彰一さんが酒造りの方向を見直し、新蔵を作り大きく発展させたと聞いています。でも川場村を大きく発展させる機会を作ったのは何といっても鶴二さんですが、そのあとをフォローした兄の彰一さんの活躍も重要な働きを示しました。
永井鶴二さんは昭和42年に31歳の若さで川場村の村長になったことから川場村を大きく変えることになります。昔の川場村は農業と養蚕の旧態依然とした農村で、養蚕業の衰退で若者たちが次々と村を離れる状態でしたが、鶴二さんが村長に就任後、養蚕は止めて農業プラス観光の方向に切り替えることにしたのです。具体的には稲作、リンゴやブルーベリーなどの果樹園、こんにゃくなどの農業をベースにするほか、JRから譲り受けたSLを活かしたSLホテルや川場スキー場の開業など観光にも力を入れました。
鶴二さんは1967年から4期連続16年間村長を務められますが、、都市と農村の交流にも尽力され、1981年には世田谷区と相互協力協定をむすばれ、「都市と農村」の交流事業の全国的モデルとして高い評価を受けています。そしてその交流の中から生まれたのが「田園プラザ構想」だったのです。
その田園構想を実現するために作られたのが株式会社「田園プラザ川場」です。川場村の基本構想である「農業と観光」の集大成の事業として、川場村の地場産品の振興と新規開発を担うとともに、川場村の商業・情報・ふれあいの核となる「タウンサイト」の形成を目的として1993年に設立されました
そして村が持つ5万m2の土地を使って、下記のような新しい店が次々と生まれました。下の写真がその全体図です。山の一部を切り崩してできたことがよくわかりますね。
About
・ 1994年 ミルク工房営業開始 
・ 1995年 ミート工房、ファーマーズマーケット営業開始 
・ 1996年 プラザセンター、ふれあい広場完成 
・ 1997年 そば処営業開始 
・ 1998年 ビール工房、パン工房、道の駅川場田園プラザ完成
・ 2002年 ブルーベリー館 開設 
・ 2008年 食事処あかくら完成 
道の駅の園内マップを見つけましたのでご覧ください。実にいろいろなものがありますね。これなら1日いても楽しめそうですね。
 
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実はこの事業は経営的には非常に厳しく赤字続きで、それを村が毎年補てんをする状況が続いていたので、その再建に白羽の矢があたったのが永井酒造の4代目の永井彰一さんだったのです。 

彰一さんは2007年に株式会社「田園プラザ川場」の社長となり、大ナタを振るいます。まず、全社員全員を一斉に解雇して、働きたいと言ってきた人を面接しながら採用するとともに、外部からも広く人材を集めることを行いました。徹底的に行ったのは挨拶と掃除だったそうです。そして流行は必ずすたれるとして追わず、地産地消と本物志向のコンセプトでここでしか手に入らないもの、食べられないものを求めたそうです。
 
農産物についてもこれまで付き合いのあったJAの商品は扱わず、農産物を納入する農家にはバーコードを提供し持ち込んだ農産物を登録し、レジを通るとスマホやパソコンに連絡がいく仕組みを用意し、絶えず新鮮な農産物を品切れを起こさず供給できるようにしました。今では420人の生産者がシステムに登録し、村で農業に従事している人の9割にもなったそうです。
 
農業だけでなく今までやってきた各種の工房でも、ここでしかできないものに特化してきたそうです。そうやって生まれたものの例を挙げますと、飲むヨーグルト、米粉を使ったパン、上州もと豚を使ったステーキ、、川場村のニジマス、などあげれば切りがありません。最近では川場地ビール雪ほたか(高級コシヒカリ)のおにぎりアメリカで大評判になっています。でもすべてが成功したわけでなく、人気が出た商品の裏側にはそれ以上の失敗をしているそうです。成功の陰には並々なら努力があるのでしょう。
 
永井社長が就任してから1年後には黒字化に転じ、2011年には日本経済新聞「なんでもランキング」「家族が楽しめる道の駅」部門で東日本第1位に選ばれています。そして、2014年には15億円の売り上げを計上し、年間150万の人が来たそうです。、短い時間でしたが、永井則吉さんに道の駅を案内いただき、飲むヨーグルトを飲みましたが、とても濃厚でうまかったです。僕たちが訪問した冬の時期には雪に覆われているし、改築や新築工事が多いのであまりお客がいないけど、季節が良くなると、入場する車で混雑して渋滞するほどだそうです。道の駅に行った時の写真をおみせします。
道の駅の入り口です
 
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ビール工房、パン工房、そば処を見える風景です 

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以上のことから永井ファミリーが川場村に大きく貢献していることが良くわかりましたが、則吉さんも川場村と強い関係を持っておられます。このあとそれについてご紹介します。 

則吉さんは永井酒造の次男坊に生まれ、最初は蔵を継ぐつもりはなく大好きな建築の勉強をするために東海大学の建築学科に入学されました。そして、外国の建築の勉強をするために大学3年の時に2か月ほど、ヨーロッパ諸国を旅をしたのが酒造りを目指すきっかけとなったそうです。ヨーロッパではどんな田舎に行ってもワイナリーが地域の拠点となっていることと、故郷の川場村も素材的には全然負けていないことに気が付いたそうです。それで故郷の戻って川場村の素晴らしい水と里山の素晴らしい自然の基で酒造りをしたい気持ちになって、英国の建築専門学校への留学をやめて蔵に戻ることにしたそうです。それは1994年22歳の時です。
このことは去年行われた日本酒セミナーでお話しされていますので、関心のある方は下記のURLを見てください。
http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-d8e7.html 
 
入社した年はちょうど新蔵を建設する時期だったので、設計担当者としてそれにかかわると同時に新しい蔵での酒造りに邁進し、2008年にはスパークリング酒であるMIZUBASHO-PUREを完成させた後、2013年には6代目の社長となりNAGAI-STYLEをを完成させることになりますが、お酒のお話はPART2でご紹介します。
 
則吉さんが地域の関連で力を入れてきたのは、米造りで農家との絆を強く持つことだったそうです。それによって農家、酒蔵、地域の飲み手の皆がハピーになることを目指していて、そのためにいろいろな企画をされています。
 
農家との連携の一つは農家の若手の造り手(御曹司)と勉強会を定期的に開いているそうで、米の作り方だけではなく川場村の歴史をひもといて一緒に勉強し、これを最終的には川場村の中学生に優しくまとめるようなことをしているそうです。ここで重要になってくるのが川場村にある青龍山 吉祥寺というお寺なのです。
 
吉祥寺は南北朝時代に鎌倉の臨済宗建長寺分寺として大友氏が建てた寺で、建長寺派の寺の中では最も北に位置することから建長寺の北の門とも呼ばれているそうです。この寺は町の中心的な位置を占める寺で、現在の住職は49代目ですが48代目までは建長寺から派遣されてきていたほど重要視された寺です。でも、49代目から世襲制になり現在若い人な住職となっているので、住職も一緒に勉強会に参加されて、寺の一室を使って勉強会を行っているそうです。なるほどそんな関係があったのですね。
お寺のマップを見つけましたのでご覧ください。
 
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入口にある山門の写真です。 

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の山門は一般の人が2階まで上がれて見学できる珍しい山門です。そのには文殊菩薩と十六羅漢が並んでいました。

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 本堂の中の写真です。ここの別室で勉強会が開かれます

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お庭もきれいでした。本堂の回廊から見た庭の写真です 

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とても広いお寺で、春には桜が咲き、5月には水芭蕉と水仙が咲き乱れ、秋には紅葉が楽しめる場所だそうです。この寺は建てられてから680年ほどたちますが、江戸時代に火事でほとんど焼けてしまいましたが、川場村の大農家が寄付をして立て直したのが現在の建屋だそうです。沼田まで全部自分の土地を通っていけるほどの大農だったらしいです。 
この寺は永井酒造の真北にあり歩いて行ける近くにある寺で、寺を中心に農家の方と親しくなる仕掛け造りはいいアイデアと思います。さらに発展されることを期待しています。 
もう一つの仕組みが酒造ツーリズムです。酒蔵を巡って蔵人と話をし、地酒を味わい、その土地の文化を知る「酒蔵ツーリズム」は、佐賀県鹿島市が先鞭をつけ全国に広がりつつあります。
 
群馬県北部、利根沼田エリアでは、「大利根酒造」「土田酒造」「永井酒造」「永井本家」の4つの日本酒の酒蔵と「田園プラザ川場ビール工房」「月夜野クラフトビール」の2つの地ビール工房、さらに「奥利根ワイナリー」が協力しあい「利根沼田酒蔵ツーリズム」が行われています。協賛している最初の見学施設で500円払い「7」の文字が印字されたテイストグラスを購入すれば、利根沼田酒蔵ツーリズムマップを片手にスタートできます。詳しくは下のURLをご覧ください。 
たまたま僕が蔵見学をしたときにこのツーリズムの方が見えていて、杜氏さんが丁寧にご案内しているのをお見かけしました。
 
以上で川場村と永井酒造との関わり合いの紹介を終わります。 

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2016年10月31日 (月)

酒千蔵野は外観は変わらないが中身は進化していた

長野メッセの翌日、朝一番に尾澤酒造を訪問した後、酒千蔵野に向かう途中の道の駅にある有名な蕎麦屋の「そば信」で昼食をすることにしました。どういうわけか写真を撮っていませんでしたので、お店ホームページから借用しました。このお店は前の日に幻舞の千野健一さんにぜひ食べて来てくださいと言われたお店です。昼間12時半ごろ着いたけど広い駐車場が満杯で、停められるか心配しましたが、何とか停められました。ずいぶん人気があるのですね。 

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外見は道の駅によくある普通の蕎麦屋で、値段はざるそばで500円と格安でした。僕は天ざる780円を注文しました。食べてみると香りはもうちょっと欲しいけど、腰はしっかりするぐらいあって、こんな腰のあるお蕎麦は初めてです。 

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ここの蕎麦は石臼でひいてそれを手打して作っています。この店のお蕎麦をそのまま売っていたので、これを買えば家でも同じくらいの腰を楽しめるのかと思ってよく見ると、生麵なのでその日に食べてくださいと書いてありましたので諦めて、道の駅で売っている他社の半生麵を買って翌日食べたら、全く別物でした。やっぱりその場で打ったものをその日にすぐ食べないとだめなことがわかりました。 

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このガラスの奥の部屋がそばの手打ちをやるところで、実演が見えます。僕が見ているとき女性が手際よく打っていました(実は朝、尾澤酒造に行く前にトイレ休憩した時に見たもので、お昼には打っていませんでした)。 

ゆっくりここで昼食を楽しんでから酒千蔵野に向かいました。2時ごろ蔵に到着したら、千野健一さんと麻里子さんが迎えてくれました。蔵の外観は昔お邪魔した時のままで、どこかの美術館のような雰囲気の蔵でした。どうしてこんな建物にしたのかをお聞きしたら、麻里子さんの父が麻里子さんには相談せず、勝手に観光蔵を狙って作ったのでないかと思われますが、本当のことはよくわからないそうです。良い点もあるけど作業上はいろいろ使いにくい点も多く困っているそうです。 

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確かに外観上はとても広い蔵のように思えますが、建屋の半分の空間が造りには関係のない展示や会議室や吹き抜けとなっているので、造りのためのエリアは意外に狭いそうです。でもお酒の銘柄が多いし、造りの量もいろいろあるので、この狭さの中で500石のお酒を造るためにはかなり先の先まで読んで準備をしなければいけないので気が抜けないそうです

確かに建物としては綺麗だけど、蔵としてはもったいないような気もしますね。これからどうしていくのかは麻里子さんの考え一つでしょう。 

案内は麻里子さんにしていただきましたが、その日は1500KG仕込みの添え麹の引き込みをした日なので、蔵の中の見学はできないとのことでしたので、試飲をしながらのトークで終わりましたが。面白い話を2つ聞けましたのでご紹介します 

当日添え麹を引き込んだお酒は何ですかとお聞きしたら、宮内庁向けのお酒だそうです。そんなお酒を造っているなんて、知りませんでした。それは美山錦49%精米の純米大吟醸「御苑(みその)」で宮内庁の中にある生協で売っているお酒だそうですが、いくらで売っているかは知らないとのことでした。インターネットで調べると宮内庁生協のホームページはないのですが、そこで御苑を買ってブログに挙げている人がいました。4合瓶で1600円ですからそんなに高くは売っていません 

http://youpouch.com/2013/10/07/137632/ 

宮内庁の生協には誰でも行けるわけではありません。事前に宮内庁見学を申し込む必要がありますが誰でもはいれるそうです。もちろん蔵に在庫はありませんし、あっても買うことも、試飲もできません。インターネトで調べてみると外箱とお酒の写真を見つけましたので、ご覧ください。 

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やっぱりデザインに気品がありますね。これならもらった人はうれしいのではないでしょうか。 

この蔵の生産高はずっと変わらず500石だそうです。昔は普通酒が8割だったそうですが、今ではその逆で普通酒が2割強ほとんどが特定名称酒だそうです。ですから年4回しか使わない普通酒用の3トン仕込みのタンクもあるそうです。通常は600kg~1200kg仕込みだそうです。ですから御苑は結構大きな需要なのですね 

麹造りはどんなことに気を使ってやってりのですかとお聞きしたら、酒母と添えの麴は総破精で、留添えは突き破精、仲添えはその中間になるようにしているそうです、それをどのように作るのですかとお聞きしたら、種麹の量でコントロールしているそうです。総破精は100KGの蒸米に対して50g、仲は20~30g、突き破精は5~10gだそうです。総破精か突き破精かは見た目ですぐわかるそうです。 

インターネット検索で日本酒コンシェルジュの江口崇さんのイベントレポート日本酒レッスンにあった総破精と突き破精の写真を載せておきます。麻里子さんの説明では突き破精はお米の表面に2-3か所麹菌の入り口が見えるだけと説明を受けましたが、それとはちょっと違いますね。もしかしたら突き破精もどきかもしれません。 

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僕のような素人には実際にどうなってるかはよくわかりません。麻里子さんの説明では突き破精は確かにきれいなお酒ができるので、金賞受賞酒を狙ったような大吟醸酒では酒母から留めまですべて突き破精にすることがあるそうです。とてもきれいなお酒ができるそうですが、発酵力が弱いので、酵素剤を入れることが多いようです。福島県ではそのようにしているところが多いと聞いているそうです。でも、あえて麻里子さんのところではそうしていないそうです。 

他県の情報とか長野県の他の蔵の情報をどうやって得ているのですかとお聞きしたら、長野県が主催する杜氏の勉強会や地区の有志の杜氏が集まる研究会などで勉強しているそうです。今の日本酒の技術の発展はすごいスピードで進んでいる気がしますので、勉強は大切なのでしょうね。 

試飲したお酒 

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飲んだぽ酒はもっとありましたが、この4本だけ紹介します。どれも東京では飲めないお酒です。 普段飲めないお酒だけを選んでもらいました。

① 鞍骨城  特別純米 ひとごごち(信州松代の酒米) 

② 田舎あぜみち 春バージョン  純米酒生酒 美山錦

③ いなかあぜみち 秋バージョン  純米酒 ひとごこち
     (1回火入れ)

④ 幻舞 特別本醸造 美山錦 無濾過生原酒
    (西武限定酒の半年熟成酒)
 

あぜみちは契約農家さんに春と秋に配布しているお酒です。

訪問したメンバーと麻里子さんの写真です 

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昨日の懇親会 

おまけに昨日長野駅前の居酒屋KEIYAの懇親会の時に高沢夫妻と千野夫妻と一緒にお食事をした時の写真を載せますので見てください。

高沢パパの優しいお顔がいいですね 

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麻里子さんがそっと寄り添っているのが素敵ですね

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最後にいろいろと面倒を見ていた抱いた千野夫妻にお礼申し上げます。

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2016年10月27日 (木)

尾澤酒造は小さいけどアイデア満載の蔵でした。

尾澤酒造は長野県信州新町にある小さな蔵で地元では美寿々錦、首都圏向けには十九という銘柄のお酒を出しています。この蔵のお酒を知ったのは練馬のたつなみ酒店で扱っていたのがききっかけでしたが、この酒店で働いていた横川さんが店長の上田さんの勧めで尾澤酒造に蔵人として入ることになったので忘れられない蔵となりました。それまでは横川さんとは上田店長を囲んだ日本酒の会でよく一緒にお酒を飲んでいましたし、彼が将来は酒造りをしてみたいと常々言っていましたので、蔵人になることは驚かなかったけど、その頃は数十石しか生産していないあまり知られていない蔵でしたので、とても驚いたことが思い出されます。 

当時の十九のお酒は酸味が強くて荒々しいけど、何か面白いお酒でしたが、毎年味が変わるので、あまり飲んでいませんでした。最近飲んだらとてもきれいなお酒に変身していたので驚きました。どうしてそんなに変わったのかを知りたくて、長野メッセinNagano の翌日に蔵を訪問しました。蔵の杜氏(正確には製造責任者)している尾澤酒造の社長の奥様の尾澤美由紀さんと蔵人の横川敏隆さんが気持ちよく迎えていただきました。 

下の写真は社長の尾澤俊昭さんと専務取締役・杜氏の美由紀さんです。美由紀さんが目をつぶった写真しか取れなくてすみません。美由紀さんは平成4年にこの蔵にお嫁にきて南部杜氏の酒造りをお手伝いしながら酒造りを勉強していましたが、平成10年に蔵が一時休業することになります。それを復活させるために、平成13年に長野県醸造研究所の所長の馬場先生に指導を受けて勉強し、平成13年度から酒造りの杜氏として酒造りをしています。 

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蔵人の横川さんの写真もお見せしましょう。この蔵に来たのが平成16年なので、すでに12年のベテラン蔵人になるそうですがまだ独身です。、蔵の力持ちとして頑張っていますが、分析室の主として細かい作業も得意だそうです。誰かいい人がいたら紹介してください。気は優しく力持ちです 

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まず蔵の紹介をしましょう、。創業は江戸時代後期の1820年ごろだそうです。その頃はこの地は麻の一大産地で、船を利用して京都まで運んでいたそうで、尾澤家は麻問屋として活躍した庄屋さんだったようです。ですからお米が手に入ったのでお酒を造ったら地元の人に重宝がられたのが始まりだったようです。 

昔は長野県の大手の蔵にお酒を納めていて、一時は800石くらいの生産をしていたそうですが、ここからの購入がなくなって急激に生産が落ちることになったようです。このとき尾澤酒造の社長のお父様が起死回生の手段として、平成4年に四季醸造も可能な最新設備の工場を作ったのですが、この借金のために事業としてはますます苦しくなり、くなり、平成10年には一時酒造りを休業することになったようです。

美由紀さんは大変な時にお嫁に来たのですね。借金を返すために自らが杜氏として酒造りを再開するために長野県醸造研究所の所長の馬場さんに指導受けましたが、たった1回の仕込みでしか教えてもらえなくて、覚えるのが大変だったそうです。13BYから初めて本格的酒造りを始めることになるのですが、その時名付けたのが十九です。これは人間20歳で一人前なら今お酒は一歩手前の19歳。飲んでくださるお客様の声を聞いて20歳の酒になりたいという意味で「十九」としたそうです。 

蔵は信州新町の19号線(あれここにも十九がある)に面したところにあります。下の写真が表玄関でこの蔵のような建物はお酒の展示とギャラリになっています。奥にちらっと見えるセブンイレブンは尾澤さんが経営するお店です。 後で聞いたのですが今地方に卸しているお店の数も19だそうです。

下の写真がお酒の展示販売とくつろぎのギャラりーのための建物です。

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ギャラリの中をご紹介しましょう。1階は十九以外のお酒が陳列してある棚で、ここでは十九が買えないことを説明するとよく怒られるそうです。 

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2階はちょっとしたくつろぎのフロアで、いつも音楽が流れていて希望があればミニコンサートなどにお使いくださいとPRしているそうです。 

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この建物は道路の拡幅工事(平成18年)があったときに昔からあった蔵を改修してできたのもです。昔は麻問屋として使っていたようで、昔からの梁を使っています。地元の宮大工の山本伊太郎さんが造ったそうです。 

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では早速酒造蔵を紹介します。ギャラリー蔵の右奥に比較的新しい建屋が見えます。煙突のある建屋がボイラー室、検査室。分析室、一時保管用貯蔵庫、瓶詰ラインです。その奥の建物は入り口が原料処理で、その奥に仕込み室、2階に麹室、酒母室があります。この建屋ができたのは平成4年だそうです。 

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蔵に入ってすぐ気が付いたのは全体に塵一つなくきれいに清掃されていましたことです。床がリノリウムのようにつやつやしていたので、お金がかかったでしょうと聞きましたら、全部自分で塗装したそうです。確かにリノリウムほどつやつやしていないけど防水性のある塗装のようでした。 

最初に説明しておきますと、この蔵は約3億円の借金があったので、設備にはお金を掛けないことをモットーとしてきたようです。やっと4年前に借金の返済が終わり、それからは新しいものを積極的に導入したようです。 

<原料処理関係> 

まず洗米装置ですが給食センターが使っている洗米装置でウッドソンの洗米装置より1/10以下で買えるそうです。下の左の写真が洗米器で水圧で米を循環させ洗米するようです。この洗米器だけでは糠の取れが悪いので、右の写真の自家製のシャワー機でさらにきれいにするそうです。うまく作られていました。 

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浸漬についてはあまり詳しい説明はありませんでしたが、洗米したお米を袋に入れて浸漬させ、保温用の箱に移して蒸米用とするようです。僕は酒造りは素人ですが、麹米と掛米の最適浸漬量は違うと思うのですが、どうやっているのでしょうか

次は甑です。最大500kgのお米を蒸すことのできる甑です。周りに木の板が取り付けられていますがどうしてでしょうか。わかりますか。 量の少ないときは掛け米と麹米を一遍に蒸すこともあるようです。

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これは甑の断熱を良くするために近くの木工屋さんに頼んで作ったそうですが、まだばらしていないので、どこにどの板が来るかが判るように番号が振ってります。このゆかを見てください。リノリウムのようでしょう。うまく塗っています。 

甑にかける蒸気は不純物を取り除くためにボイラの蒸気と間接的に蒸気を発生した後、温度を上げて乾燥蒸気にして使っているそうです(福島製作所)。そんなことをしているのですね。 

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 <次は麹室> 

この麹部屋も平成4年に作られたものでその後いろいろ改良されたようです。 

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以前はこの入り口が蒸米を入れる引込口と出麹口が同じで蒸米を入れるときに部屋の温度を乱してしまうので、引込口を別に設けたそうです。下の写真が後でつけた引込口の前部屋です。 

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麹室中にもいろいろ面白いものを見つけました。まず床室の換気方法です。昔は天幕方式で室内を強制的に温風と換気で制御する方式だったそうですが、 これは小さい処理量には合わないとして、野口式天窓で緩やかに制御する方式に変えたそうです。野口式天窓は熊本県醸造研究所の所長の野口さんが発明された方式です。処理量に合わせた一番効果のある方法を選択して改善しているのがいいですね。 

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棚箱がおいてありますがこの部分が床です。凄かったのは床に載せたお蒸米の量が自動的に測れるロードセルがついていたことです(5年前)。水分がどのくらい飛んだかが判るので大変便利だそうです。これは最新鋭ですね。

この棚箱をよく見てください。昔はこの3つの箱を一つにした大木は箱だったのを切ってネギ止めで小型の箱にしたそうです。 

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右側の換気扇の上についてあるのがロードセルの表示版です。

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部屋の温度コントロールはニクロム線でやっていた方式をプールの暖房で使っている防水型遠赤外線パネルヒータに変えていました。ニクロム線は老朽化すると発火の元になるので、安全上変えたそうです。今ではステンレスヒーターが主流になっているようですが、安価にするためのこの方式を選択したそうです。上の写真の左側の古臭いコントローラーはこの遠赤外線パネルヒーター用のコントローラーとして使っています。これは節約の精神ですね

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麹の温度測定は自作の温度計を使っていました。これなら400円で買えるそうです。それをステンレスのパイプにさしてエポキシで固めたものです 

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測定した温度をワイヤレスで外部から見る温度計(A&D)も1台5000円で買ったそうです。醸造機器メーカーものは高いので、その言いなりにならない気持ちがあふれています。

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出麹室の外には出来た麹を乾燥するために以前室の中で天幕式製麹装置を使ていました。これは使ったものの再利用ですね。でもこれが要ること自体が問題かもしれません。

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 <次は酒母室> 

酒母室でも新しい発見がありました。この小さな蔵にはもったいない広さの酒母室でした。 

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手前の緑のタンクは汲みかけ機で安く作ってもらったそうです。 

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酒母のタンクは200L~400Lですが、タンクの外側を包んでいる冷却用のカバーを非常に重いゴム製から非常に軽い冷却カバーをオリオン精工と協力して開発したものだそうです。オリオン精工から恒温マットとして販売されています。ゴム式に比べて冷却能力がないのでここのように小さなタンクには適しているとのことでした。 

最後にこの部屋である秘密兵器を見つけてしまいました。それは何だと思いますか。思いもかけない使い方をしているものです。 

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それは酒母用の暖気樽に生ビールのアルミ空き缶を使っていることでした。2Lと3Lのアルミ缶を使っていますが、軽くて伝熱性がいいので大変重宝しているそうですが、欠点もあるそうです。それは熱いお湯を入れるので、何回も使っていると表面がべこべこになりついには割れてしまうそうです。その時はみんなで宴会をすればいいですね。 

<仕込み室について> 

仕込み室は1階にあり。完全空調をすれば四季醸造も可能なような冷蔵庫の中のような造りの立派な建物でした。昔はこのフロアに6000Lのタンクがずらりと並んでいたそうですが、2つの大型タンクを残してすべて2000L~3000Lのタンクにしたそうです。 

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2基の大型タンクは洗浄用の水と仕込み用の水をためているタンクとして使っています。この蔵の井水はそばを流れる川の水より低いので、汚れていてとても洗浄水としても使えないそうです。 

洗浄水は市水をミクロフィルターと活性炭ろ過をして使っています。洗浄水も仕込み水も一度仕込み室の大きなタンクにためてから使っていますが、それは温度を安定化させるためだそうです。細かいところに気を使っているのですね 

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仕込み水は蔵から車で1時間くらいのところにある大岡(?)の湧き水をトラックで毎日取りに行っているようです。そのタンクが倉庫におかれていました。 

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使用している酵母は長野B、C、D、と協会7号酵母、9号酵母、14号酵母が主体のようですが、協会酵母はすべて泡あり酵母を使っているそうです。泡アリ酵母は一味違うので、泡アリ酵母を使うと泡なしには戻れないとのことでした。 

泡があふれださないようなプラスティックカバーです 

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泡消し器もありました。いずれも手造り感一杯の器具でしたね

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以上で仕込み室の紹介を終わります 

<搾り室> 

藪田を使用していますが、最近アルミ板からポリプピレン版に交換したそうですが、軽くはなって作業性は良くなったけどポリプロピレンの加工が悪く、漏れを起こしたりして、大変苦労したそうです。ポリプロピレン版は十分な注意が必要なようです。 

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この部屋に面白いものを見つけました。醪ポンプのようですが、神様、仏様、十九様と書いてあります。 

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岩手県のタクシードライバーを醸している喜久盛酒造の杜氏に今年の春まで貸していたもので、そのお礼にそのような張り紙をして返却されたものです。何かで蔵が醪ポンプが壊れて苦労しているのを知り、余っている1台を貸しだしたようです。優しい心遣いですね。 

<分析室> 

左の扉が分析室の入り口で正面の扉が検査室(税務署の方の控室)の扉です 

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分析室の中にはずらりと最新鋭と思われる分析機器がおかれていました。

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左から速アルコール測定装置、振動式密度計(日本酒度、重ボーメ度、比重など)、アミノ酸測定装置のようですが、一式買うと200万円もするそうですが、リースで購入したそうです。たぶん京都電子工業製ではないかな。そのほかにも光学顕微鏡、インキュベーター、オートクレーブ、クリーンベンチなど酵母培養のための設備も充実していました。この位の設備を持っている蔵は2000石クラスだと思います。凄いの一言です。 

<瓶詰ライン> 結構広いですね。

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<貯蔵庫>
 

ちゃんとした低温貯蔵庫は他にもあるのですが、ここは瓶詰したお酒を一時的に保管するところで、カーテンを閉めれば冷蔵庫(2℃、5℃)に早変わりする優れものです。 

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以上で蔵の紹介は終わります。 

見学させていただいての全体的な印象は生産高の割には設備は整っているし、敷地も余裕があるのに驚きました。以前は借金を返すためにできるだけ無駄な金を掛けないことを徹底してその結果色々なオリジナルな自家製の機器も生まれてきましたが、借金の返済めどが立ったあたりから、ちょっとお金を掛けるようになってきていると思います。その結果今の設備体制になっていると思います。 

昔と十九の味が変わった大きな理由は1つは綺麗な仕込み水を使ったこと、清掃を徹底した行ったことだと感じました。これから生産高を上げるための一番の問題点はやはり仕込み水の確保でしょう。これは難しいけど解決しなければならない問題です。

個人的には麹造りのちょっと疑問を感じました。普通は酒母と添えは総破精、留は突き破精、中はその間にするようで、そのためには浸漬、蒸からそれに合わせなければいけないのだと思うのですが、生産量が小さいだけに工夫が要りそうですね。僕にはどうすれば良いかはわかりません。

最後に長時間にわたって蔵の説明を丁寧にやっていただいた尾澤美由紀さんと横川敏隆さんに心より感謝いたします。

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