酒母造りについてまとめてみました(最新情報もあるよ)
先日銀座NAGANOの日本酒講座で麹造りを勉強し、長野県の丸世酒造店で麹造りの体験をし麹造りの難しさが少しわかった感じがしました。銀座NAGANOではそのあと引き続き酒母と醪の造りも勉強しましたが、現在どんな酒母造りをしているかの説明はあったのですが、どうして今の形態になったか、その理論的根拠や背景は何かの説明はありませんでしたので、それなら自分何りに酒母造りとは何かを勉強しようと調べてみました。特にブルーバックス社の和田美代子著の「日本酒の科学」と新政の佐藤祐輔さんのブログを色々と参考にさせていただきました。
酒造りでは昔から「一麹、二酛、三造り」と言われてきたとおり、酒造りの重要な手順は麹造り、次に酛(酒母造り)、そして醪を仕込む「造り」ということです。麹造りはお米からお酒の原料となる糖、アミノ酸、脂肪酸を作る工程を言い、どんなタイプのお酒を造りたいか、そのためにはどんな麹をどのタイミングでどのくらい投入すべきかを考え、麹のタイプ、アミノ酸の量など色々なことを制御しながら作るのが麹造りであることを知りました。これについては前回のブログでまとめてありますのでご覧ください。
http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1bb6.html
<日本酒の発酵の工程について>
麹ができればあとは酵母を投入してアルコール発酵させればアルコールができるはずなのに、ワインの場合とは違ってまず酒母を作ってそのあと3のステップにわけて麹や蒸米を投入して徐々にアルコール発酵させていきます。どうしてそんな複雑な工程がいるのでしょうか。玉岡さんが造った酒造りの全工程をお見せします。こんなに複雑なのです。
この図で注目してもらいたいことがあります。日本酒の発酵は4つの工程に分かれています。まず最初に酒母と呼ばれる酛を作る行程と、酒母に添麹、水、蒸米を加えて発酵させる初添えの工程と、初添に仲麹、水、蒸米を加えて発酵させる仲添の工程と、仲添に留麹、水、蒸米を加えて発酵させる留添の工程の4つあります。この4つの工程が完了してから醪を2週間から1か月かけてゆっくりと発酵させる最終工程に入ります。最初に作る酒母の工程に使用するお米の総量は全体の7%に過ぎなく少量ですが、重要な役目を持っています。
この4つの工程の中で酵母を入れているのは最初の酒母の段階だけです。酒母の役割はアルコール発酵に必要な酵母を大量に増殖させることにあります。ですから酒母の役割はアルコールを作ることが目的ではなく、それ以降の工程のアルコール発酵が健全に進むような環境をつくることにあり、非常に重要な工程です。ですからお酒の母、酒母と呼ばれているのです。
では酒母はどのように作られるのでしょうか。そのためにはまず酵母について考えてみる必要があります。
<日本酒に使われる酵母について>
一般的に酵母は酸素があると糖を分解しエネルギーと炭酸ガスと水を作りますが、酸素が少ない環境だとエタノールと炭酸ガスと水を作るようです。この特性を使ったのが酵母によるアルコール発酵です。
酵母は単細胞の微生物で、果物の皮や樹液や葉のつぼみなど自然界のありとあらゆるところにいるようです。パン造りの酵母もその一つですし、味噌用の酵母、醤油用の酵母もありますが、アルコールはほとんど作らないようです。アルコール発酵する酵母にもいろいろあります。ワインには「ワイン酵母」、焼酎には「焼酎酵母」があるようです。日本酒造りに適した酵母は自然界にある野生酵母から生まれていて、昔は特定できていなかったようですが、明治時代に入って日本醸造協会が、色々な蔵に住み着いている酵母を採取して純粋培養して協会酵母として配布するようになってきています。また今では各県の醸造研究所で独自に開発した酵母もあります。協会酵母を下記に示します。
意外に思われる方が多いと思いますが、ワイン業界では酵母の研究はあまり進んでいなくて、最近の研究で初めて注目され始めたようで、日本の酵母の研究は世界一進んでいるといえます。
日本酒用酵母はこの表以外にもたくさんの酵母がありますが、これらには共通した特徴があります。それはアルコール耐性がつよく、アルコール濃度20%近い高濃度のアルコールが造れることです。でもこの酵母は欠点があります。それはこの酵母は他の微生物と一緒にいるとその微生物に淘汰されるほど弱いことにあります。でも酸性の環境に強いという特徴があるので、酸性の環境にしてやると、微生物は酸性に弱いので酵母の増殖の都合がよい環境となります。
それではその環境をどのように作るのでしょうか。現在ではその環境は乳酸を多くしてPHを4ぐらいにすればよいことが判っていますので、酒母を作るときに前もって乳酸を投入することが一般的になっています。この方法の酒母を速醸系酒母とよびますが、それについてはのちに詳しく説明します。でも。乳酸菌や乳酸のことを知らなかった昔はどのようにしていたのでしょうか。昔から日本酒は造られているので、何か方法があったはずです。
<室町時代の日本酒の酒母>
日本では奈良時代には日本酒が造られていたことは。万葉集にも書かれていますし、その時代には麹による酒造りが始まっていたと書いてある文献もあります。平安時代には米、麹、水で仕込む方法が開発されいくつかの種類のお酒が造られるようになりました。でもその頃のお酒は1段仕込みなので、まだ酒母の概念はなかったようです。
室町時代になると酒造りの技術も進歩し、乳酸発酵の応用、木炭によるろ過、火入れ、段仕込みの方法ができたようですが、酒母の概念が明確になったのは奈良の菩提山正暦寺のお酒の「菩提泉」が最初と言われています。それではそれはどんな方法だったのでしょうか
ずいぶんと変わった方法でした。新酒を作るのに残暑の暑い日を選び、いかきという籠の中に生米9割、蒸米1割の比率で入れて水の中に3日間浸しておくと酸性で泡立った「そやし水」ができます。この水を仕込水として使って麹や蒸米(水につかっていた白米を蒸したもの)を投入してお酒を造るそうです。このそやし水は乳酸菌が造った乳酸が多く含まれた水で、その後の研究でPHが4になっていたことが判明しています。気温の高い時期の方が乳酸菌が良く増殖して素早く乳酸ができるからいいそうです。当然酵母は自然に入ってくる酵母です。
この方法は菩提酛といわれましたが、この技術が引き継がれたて江戸時代になって水酛と呼ばれて広く使われるようになったようです。水酛はほとんど菩提酛と同じ方法ですが、気温の温暖な地域での酒母の製造方法として広まったようです。でも安定性が悪く、混入する微生物の種類によって酒質が大きく変わる欠点がありましたが、江戸時代には夏場に作る酒の方法として使われてきました。でも明治時代に入って次第に衰退したようです。
<寒酛いわれた生酛系酒母>
現在生酛と言われている酒母造りが生まれたのは正確にはいつ頃であるか不明ですが、堀江修二さんが書いた「日本酒のきた道」の本の中に、江戸時代の初期に書かれた酒造りの秘伝書である「童蒙酒造記」の中に菩提酛や後の高温糖化酒母の基になるいわれる煮酛や生酛仕込みの基になる「寒仕込み酛」の方法が記されているそうです。生酛の基になる方法は江戸時代の初めには存在していたと思われます。
生酛と呼ばれたのは明治の末に速醸酛が開発されたときだそうで、江戸時代には「寒酛」と呼ばれていて、明治の初めは「普通酛」と呼ばれていたようです。ではその方法を説明しましょう。
寒造りとは寒前の11月から立春までの約90日間に造りを言いますが、12℃から15℃位になった蒸米と麹と仕込水を半切りの桶に入れて、5℃から7℃の低温で仕込みます。水が十分米に吸い込まれて、水がなくなったときに木片で均一に混ぜ合わせる「手酛」という作業を2-3時間ごとに、長い時は20日くらい長期にわたって行い、そのあと半切りに入っている酛を酒母タンクに移して3-4日低温(6-7℃)に保つ打瀬(うたせ)という期間を設けます。
その後湯たんぽの役目をする暖気樽(だきたる)投入して加温操作とともに乳酸菌を増殖させていきます。そして乳酸菌が十分に多くなったころから蔵付き酵母が増殖するというjことのようです。
この工程の状況を科学的に示した図を大七酒造が出していますので、それをお見せします。これによると打瀬の期間に硝酸還元菌が増えて亜硝酸が生成し、野生酵母などの雑菌を抑え込んだ後暖気樽による加温で乳酸菌を徐々に増やしていくと、最後に家付き酵母が増大し、できたアルコールによって乳酸菌は次第になくなっていくというわけです。
このとき発生する乳酸菌は2種類あるそうで、ヨーグルトのようになるそうですが、両方の菌ともアルコールに弱く、酵母が元気になりアルコールを作り始めると死滅するそうです。せっかく頑張ったのに何か可哀そうですね。
ですから、低温でじっくり米を溶かす過程で還元硝酸菌を増やすところが肝となっていますが、昔の人は理論はわからないけど、体験的にこの方法を見つけ出したのだと思います。
<生酛系酒母>
実は生酛酒母造りは寒仕込み酛とはちょっと違っていて、手酛の時に櫂を入れてすりつぶす作業をすることにより、ここの工程の効率を上げた方法をいい、この方法は江戸時代の中頃、丹波杜氏により灘で確立されたと言われています。まさに日本発の世界に冠たるバイオテクノロジーと言えます。
この話にはまだ先があります。櫂を入れる作業は一つの半切りの桶に2-3人が一組となり、櫂で根気よく擦り潰すので「酛擦り」とも呼ばれますが、「山卸」作業と呼ばれています。山卸では全員で「酛擦り唄」を歌ってリズムを合わせて長時間にわたって作業するので、大変な作業だったのです。この山卸の作業をやめることが可能なことが判ったのは明治後半のことだったのです。
<山廃酛>
明治42年に醸造研究所の嘉儀金一郎技師が山卸作業をしなくても麹の酵素の力だけで米を溶かすことができることを明らかにしてできたのが「山廃酛」です。山卸作業を廃止できたので「山廃」と言います。具体的には麹の酵素が染み出した液を蒸米に何度も掛ける「酌み掛け」をして麹の力だけで溶かす方法です。ですから山廃では汲水が多く、水でシャバシャバになるので、いっぺんに混ぜ合わすことができ、生酛のように水分の少ない酛をかき混ぜるのとは違い作業が楽になります。これにより今まで生酛しかなかった方法がより簡単な山廃酛が普及することになります。
ですから生酛も山廃酛も同じ生酛系的酛と分類されていますが、生酛と山廃の違いは櫂いを入れるかどうかだけでなく、酛の作り方にありそうですが定義は曖昧なように思えます。
最近になって新政酒造の佐藤祐輔さんが新しい生酛を開発しました。それは寒仕込み酛に近い方法で、「手酛」の作業のタイミングで、ポリエチレンの袋に米と麹と水を入れておいておくと櫂を入れなくても酵素の力で米が自然と解けるそうです。このとき、手で混ぜながら膨張した麹を押しつぶすことはするそうです。昔はコメの精米が悪かったので櫂を入れないとなかなか溶けなかったのですが、40%精米だと手で押しつぶすくらいでゆっくり溶けるそうです。櫂を入れると早く溶け過ぎて硝酸還元菌が十分に活躍する前に糖化が始まるのでうまくいかないそうです。だから新政の酒母の米は櫂を入れなくてもうまく硝酸還元菌が増殖して乳酸菌が育つ環境ができるように、全部40%精米になっているのです。知っていましたか?
その方法をある講演会で行われた佐藤祐輔さんの講演の要旨をブログに書いてありますので興味のある方は見てください。
http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-d8e7.html
ですから祐輔さんの生酛は麹の力で米を溶かすという点では山廃に近い方法ですが、原点は寒仕込み酛にあるので、生酛と言った方がいいのでしょう。佐藤さんの説明では硝酸還元菌による亜硝酸反応は雑菌を殺す重要な反応ですが、硝酸イオンが少ない軟水では起こりにくいので、無機塩類を添加するといいそうで、今では山廃酛はこれが標準になっているようです。佐藤さんはもともと人工的に作られたものを添加することが嫌いなので、きっと硬水を運んで使っているのではないでしょうか?
これで生酛系酒母の説明は終わりますが、昔は酵母添加はしないで蔵付き酵母が増えてくるのを待ちましたが、今では生酛でも山廃でも暖気加温が終わり十分乳酸菌が増えた段階で酵母を入れるのが普通になっており、新政でも6号酵母を添加しています。現在の新しい蔵では清潔な環境になっているので、蔵付き酵母を引き入れることが難しくなっていますが、木樽を使えば可能になると思われますので、木樽の得意な新政では近いうちに蔵付き酵母が標準になるのではと期待しています。
<速醸系酒母>
生酛系酒母は自然発生する乳酸菌を育てて、乳酸菌が出す乳酸の力で、酵母を保護する環境を作っていますので、頭のいい人なら人工的に製造した乳酸を入れれば、もっと簡単にできると思た方もいると思います。まさにその方法が明治42年に醸造試験所の江田鎌治郎さんが生酛作りに代わる乳酸を投入する速醸酛仕込みを発表しました。
でもこの方法は江田さんが最初の発明者ではなく、もっとずっと前の明治27年に現在新潟になるお福酒造の岸五郎さんが乳酸を投入方法を発明しています。今から考えると当たり前の方法かもしれませんが、日本酒醸造の世界では画期的な発明でした。
日本酒の科学の中にわかり易い図がありましたのでお見せします。この図では速醸酛はは12日間、生酛系酛は25日と書いてありますが、速醸酛は2週間、生酛系酛は1か月と言われていることが多いようです。
速醸酛も生酛系酛も乳酸を利用している点では同じですが、出来上がったお酒は少し違うようですがその 理論的背景を調べてみました。生酛で育った酵母は発酵力が強いそうです。生酛で育った乳酸菌は米由来の脂肪酸であるパルミチン酸とリノール酸のうちリノール酸を優先的に消費するので、パルミチン酸が多く含む酵母となるそうです。この酵母ははアルコール耐性の強い酵母なので、醪発酵の終盤でも発酵力が強くアルコールを作っていくので、辛口に適していると言われています。でも精米度が上がった最近のお米ではもともとの脂肪酸が少ないので、今ではこの効果は少ないのではないかと思います。
次はアミノ酸の量の違いです。生酛は速醸もとより3倍アミノ酸が多いと言われています。それはどうしてでしょうか。お米の中の蛋白質はペプチド(アミノ酸がいくつかくっついたもの)に分解された後、アミノ酸に分解していきます。速醸酛と違って生酛は乳酸菌が生育するまではPHの低い時期がありこのときはペプチドが多く生成し、PHが4以下になるとアミノ酸へと分解するようにです。そのため生酛はペプチドを多く含むことになります。これが味わいの違いになるようです。
最後に速醸酛の工程をしまします。銀座NAGANOの講座で教わったものを見ていただきます。
生酛では最初6-7℃くらいの冷たいところから始まりますが、速醸酛は18-20℃くらいの比較的高い温度で水と麹と乳酸と酵母と無機塩類を入れて水麹を作り、麹から酵素を十分に溶かしだしたところで蒸米を投入して、汲掛という工程に入ります。ここで蒸米を溶解糖化の促進をさせるようです。つぎに 温度を8-10℃まで冷却する打瀬に入るのですが、どうしてこれが必要なのかは佐藤祐輔さんが書いていますので紹介します。
速醸酛を開発した江田さんは打瀬の必要はないという理論でしたが、秋田県の醸造試験所の花岡先生が「生モト・山廃みたいに、はじめに温度が低い状態から速醸酒母をスタートすれば、低温状態で酵母を休眠させたまま、先に米を良く溶かすことができるので、その後、温度を上げて酵母を繁殖させるのが良い」と言われたのがきっかけで打瀬の工程を採用することが普通の方法となったようです。
そのあとに部分的に加温して糖化を促進させますが、暖気樽を使わないでタンクの下に電熱器などで加温すると所も多いようです。最後には20℃くらいまで加温して酵母を増殖させ、使用する前には冷却して酵母を休ませます。枯らし期間は使用するまでの期間で、速醸は生酛よりも酵母の死滅が早いので、枯らし期間は5-7日間程度にするようです。生酛の場合は1か月位たっても使えるそうです。
酒母には高温糖化酒母もありますが、今回は省略させていただきます。以上で酒母のお話を終えますが、皆さんの参考になれば幸いです。
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