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« 酒母造りについてまとめてみました(最新情報もあるよ) | トップページ | 永井酒造はかなり完成した蔵ですが、まだ進化しています »

2017年3月11日 (土)

永井酒造(水芭蕉)と川場村との関わり合い

先月の高校の仲間と宝川温泉に行った帰りに、一人で永井酒造(水芭蕉)に行ってきました。永井社長とは昔から懇意にしていただいておりましたので、お忙しい中無理やり訪問させていただきました。その日は永井社長は北海道にお仕事で出張の帰りでしたが、上越新幹線の上毛高原の駅で待ち合わせて、社長が運転する車の乗せていただき、蔵に向いました。蔵に向かう間、蔵の歴史や川場村との関わり合いなど色々と教えていただき、しかもその現場をみせていただき、川場村の発展に真剣に取り組んでこられたことを知りましたので、蔵をご紹介する前に川場村との関わり合いについてご紹介したいと思います。

永井酒造と川場村との関わり合いをご紹介する前に、永井酒造の歴史を知ってもらう必要があります。もともと永井家は長野県の須坂の武家の出でしたが、明治時代の初め頃に長男が長野にのこり、八王子と沼田に分かれることになったそうです。八王子の方に行った人は後に都市ガスの付臭剤メーカとして理研香料工業という会社になったそうです。今はその会社の本社は港区の田町にありますが、社長は永井孝彦さんですから間違いなさそうです。
沼田には次男、3男、4男が酒ビジネスを始めたのですが、次男が酒問屋(永井酒販)、3男が永井本家酒造(利根錦)、4男が永井酒造(水芭蕉)となっています。永井酒造が川場村を選んだのは水が大変良かったからだそうで、創業は明治19年で今や130年の歴史を持つ老舗の蔵ですが、創業当時は200石足らずでスタートして、永井家グループでは一番肩身の狭い思いをしていたそうですが、今では3300石を生産する群馬県一の大きな蔵となっています。
この蔵をここまで大きくした原点は何といっても川場村の水にほれ込んだ初代社長の永井庄治のおかげですが2代目の力造さん、3代目の鶴二(則吉さんの父)さんが高度成長の波を受けて発展させ、4代目の彰一さんが酒造りの方向を見直し、新蔵を作り大きく発展させたと聞いています。でも川場村を大きく発展させる機会を作ったのは何といっても鶴二さんですが、そのあとをフォローした兄の彰一さんの活躍も重要な働きを示しました。
永井鶴二さんは昭和42年に31歳の若さで川場村の村長になったことから川場村を大きく変えることになります。昔の川場村は農業と養蚕の旧態依然とした農村で、養蚕業の衰退で若者たちが次々と村を離れる状態でしたが、鶴二さんが村長に就任後、養蚕は止めて農業プラス観光の方向に切り替えることにしたのです。具体的には稲作、リンゴやブルーベリーなどの果樹園、こんにゃくなどの農業をベースにするほか、JRから譲り受けたSLを活かしたSLホテルや川場スキー場の開業など観光にも力を入れました。
鶴二さんは1967年から4期連続16年間村長を務められますが、、都市と農村の交流にも尽力され、1981年には世田谷区と相互協力協定をむすばれ、「都市と農村」の交流事業の全国的モデルとして高い評価を受けています。そしてその交流の中から生まれたのが「田園プラザ構想」だったのです。
その田園構想を実現するために作られたのが株式会社「田園プラザ川場」です。川場村の基本構想である「農業と観光」の集大成の事業として、川場村の地場産品の振興と新規開発を担うとともに、川場村の商業・情報・ふれあいの核となる「タウンサイト」の形成を目的として1993年に設立されました
そして村が持つ5万m2の土地を使って、下記のような新しい店が次々と生まれました。下の写真がその全体図です。山の一部を切り崩してできたことがよくわかりますね。
About
・ 1994年 ミルク工房営業開始 
・ 1995年 ミート工房、ファーマーズマーケット営業開始 
・ 1996年 プラザセンター、ふれあい広場完成 
・ 1997年 そば処営業開始 
・ 1998年 ビール工房、パン工房、道の駅川場田園プラザ完成
・ 2002年 ブルーベリー館 開設 
・ 2008年 食事処あかくら完成 
道の駅の園内マップを見つけましたのでご覧ください。実にいろいろなものがありますね。これなら1日いても楽しめそうですね。
 
Map_ennai 

実はこの事業は経営的には非常に厳しく赤字続きで、それを村が毎年補てんをする状況が続いていたので、その再建に白羽の矢があたったのが永井酒造の4代目の永井彰一さんだったのです。 

彰一さんは2007年に株式会社「田園プラザ川場」の社長となり、大ナタを振るいます。まず、全社員全員を一斉に解雇して、働きたいと言ってきた人を面接しながら採用するとともに、外部からも広く人材を集めることを行いました。徹底的に行ったのは挨拶と掃除だったそうです。そして流行は必ずすたれるとして追わず、地産地消と本物志向のコンセプトでここでしか手に入らないもの、食べられないものを求めたそうです。
 
農産物についてもこれまで付き合いのあったJAの商品は扱わず、農産物を納入する農家にはバーコードを提供し持ち込んだ農産物を登録し、レジを通るとスマホやパソコンに連絡がいく仕組みを用意し、絶えず新鮮な農産物を品切れを起こさず供給できるようにしました。今では420人の生産者がシステムに登録し、村で農業に従事している人の9割にもなったそうです。
 
農業だけでなく今までやってきた各種の工房でも、ここでしかできないものに特化してきたそうです。そうやって生まれたものの例を挙げますと、飲むヨーグルト、米粉を使ったパン、上州もと豚を使ったステーキ、、川場村のニジマス、などあげれば切りがありません。最近では川場地ビール雪ほたか(高級コシヒカリ)のおにぎりアメリカで大評判になっています。でもすべてが成功したわけでなく、人気が出た商品の裏側にはそれ以上の失敗をしているそうです。成功の陰には並々なら努力があるのでしょう。
 
永井社長が就任してから1年後には黒字化に転じ、2011年には日本経済新聞「なんでもランキング」「家族が楽しめる道の駅」部門で東日本第1位に選ばれています。そして、2014年には15億円の売り上げを計上し、年間150万の人が来たそうです。、短い時間でしたが、永井則吉さんに道の駅を案内いただき、飲むヨーグルトを飲みましたが、とても濃厚でうまかったです。僕たちが訪問した冬の時期には雪に覆われているし、改築や新築工事が多いのであまりお客がいないけど、季節が良くなると、入場する車で混雑して渋滞するほどだそうです。道の駅に行った時の写真をおみせします。
道の駅の入り口です
 
Dsc_0732 

ビール工房、パン工房、そば処を見える風景です 

Dsc_0731 

以上のことから永井ファミリーが川場村に大きく貢献していることが良くわかりましたが、則吉さんも川場村と強い関係を持っておられます。このあとそれについてご紹介します。 

則吉さんは永井酒造の次男坊に生まれ、最初は蔵を継ぐつもりはなく大好きな建築の勉強をするために東海大学の建築学科に入学されました。そして、外国の建築の勉強をするために大学3年の時に2か月ほど、ヨーロッパ諸国を旅をしたのが酒造りを目指すきっかけとなったそうです。ヨーロッパではどんな田舎に行ってもワイナリーが地域の拠点となっていることと、故郷の川場村も素材的には全然負けていないことに気が付いたそうです。それで故郷の戻って川場村の素晴らしい水と里山の素晴らしい自然の基で酒造りをしたい気持ちになって、英国の建築専門学校への留学をやめて蔵に戻ることにしたそうです。それは1994年22歳の時です。
このことは去年行われた日本酒セミナーでお話しされていますので、関心のある方は下記のURLを見てください。
http://syukoukai.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-d8e7.html 
 
入社した年はちょうど新蔵を建設する時期だったので、設計担当者としてそれにかかわると同時に新しい蔵での酒造りに邁進し、2008年にはスパークリング酒であるMIZUBASHO-PUREを完成させた後、2013年には6代目の社長となりNAGAI-STYLEをを完成させることになりますが、お酒のお話はPART2でご紹介します。
 
則吉さんが地域の関連で力を入れてきたのは、米造りで農家との絆を強く持つことだったそうです。それによって農家、酒蔵、地域の飲み手の皆がハピーになることを目指していて、そのためにいろいろな企画をされています。
 
農家との連携の一つは農家の若手の造り手(御曹司)と勉強会を定期的に開いているそうで、米の作り方だけではなく川場村の歴史をひもといて一緒に勉強し、これを最終的には川場村の中学生に優しくまとめるようなことをしているそうです。ここで重要になってくるのが川場村にある青龍山 吉祥寺というお寺なのです。
 
吉祥寺は南北朝時代に鎌倉の臨済宗建長寺分寺として大友氏が建てた寺で、建長寺派の寺の中では最も北に位置することから建長寺の北の門とも呼ばれているそうです。この寺は町の中心的な位置を占める寺で、現在の住職は49代目ですが48代目までは建長寺から派遣されてきていたほど重要視された寺です。でも、49代目から世襲制になり現在若い人な住職となっているので、住職も一緒に勉強会に参加されて、寺の一室を使って勉強会を行っているそうです。なるほどそんな関係があったのですね。
お寺のマップを見つけましたのでご覧ください。
 
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入口にある山門の写真です。 

Dsc_0724

の山門は一般の人が2階まで上がれて見学できる珍しい山門です。そのには文殊菩薩と十六羅漢が並んでいました。

Dsc_0727

 本堂の中の写真です。ここの別室で勉強会が開かれます

Dsc_0729

お庭もきれいでした。本堂の回廊から見た庭の写真です 

Dsc_0730_2

とても広いお寺で、春には桜が咲き、5月には水芭蕉と水仙が咲き乱れ、秋には紅葉が楽しめる場所だそうです。この寺は建てられてから680年ほどたちますが、江戸時代に火事でほとんど焼けてしまいましたが、川場村の大農家が寄付をして立て直したのが現在の建屋だそうです。沼田まで全部自分の土地を通っていけるほどの大農だったらしいです。 
この寺は永井酒造の真北にあり歩いて行ける近くにある寺で、寺を中心に農家の方と親しくなる仕掛け造りはいいアイデアと思います。さらに発展されることを期待しています。 
もう一つの仕組みが酒造ツーリズムです。酒蔵を巡って蔵人と話をし、地酒を味わい、その土地の文化を知る「酒蔵ツーリズム」は、佐賀県鹿島市が先鞭をつけ全国に広がりつつあります。
 
群馬県北部、利根沼田エリアでは、「大利根酒造」「土田酒造」「永井酒造」「永井本家」の4つの日本酒の酒蔵と「田園プラザ川場ビール工房」「月夜野クラフトビール」の2つの地ビール工房、さらに「奥利根ワイナリー」が協力しあい「利根沼田酒蔵ツーリズム」が行われています。協賛している最初の見学施設で500円払い「7」の文字が印字されたテイストグラスを購入すれば、利根沼田酒蔵ツーリズムマップを片手にスタートできます。詳しくは下のURLをご覧ください。 
たまたま僕が蔵見学をしたときにこのツーリズムの方が見えていて、杜氏さんが丁寧にご案内しているのをお見かけしました。
 
以上で川場村と永井酒造との関わり合いの紹介を終わります。 

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